2009年 07月 23日
大雪山トムラウシ遭難 |
土佐高知さんが、精力的に、この問題を展開しているので自分はポイントだけを。行程に無理があった、前日の行動で疲れていたことなど種々の問題点はあるが、ガイドの決定的な判断ミスについてのみ指摘をしたい。
報道によると16日5時半にヒサゴ小屋を出発した一行は、北沼の手前に着いたのが10時とされている。距離は4キロ、標高差は300メートルの登り。普通なら1時間半、なんぼ遅くても2時間で通過しなければならないが、そこまでに4時間半かかっている。この時点で、このペースでは16日中の下山は到底不可能であることは、はっきりしていた。仮に天候が回復しても関係ない。
であるなら、もはやあわてる必要はないわけで、あきらめて北沼の途中でヒサゴ小屋に引き返すべきだった。この判断ができなかったことが最大のミス。仮に早めに引き返す途中で、行動不能者が出ても、1人だけなら小屋への下り道であればガイドで搬送もできた可能性もある。しかし、現実には小屋へ引き返す判断ができず、漫然と進んでしまい、戻るに戻れないところへまで踏み込んでしまった。判断を先送りし、遅らせたことが致命傷につながった。
これは非常に教訓的で、山だけでなく、あらゆる組織に通じるテーマだと思う。ここという時に間髪を入れず独断と批難されても「判断を下す」のが指揮官の責任であり、「民主的」な調整型、「いい人」だけでリーダーの役割は果たせない。
今回の事故のパーティも八甲田山の神田大尉率いる青森第5連隊に何か通じるものを感じてしまう。
行動不能者が出てからの動きとしては、いろいろと批判するのは容易であるが、大人数のツアー客を連れたパーティを全滅させないため、行動を分けてバラバラにしたのも、その状況下においては正しかったのかもしれない。一概にはいえない。
とにかく、北沼の手前、少なくとも2時間歩いた段階で、「本日中の下山は無理」ということは分かったはずであり、ここで潔く小屋に帰還しておれば、下山遅れにはなっても、死者がでることはなかった。再発防止の検証のポイントとして、なぜこの判断をリーダーのガイドができなかったのか?という問題点を深めてほしいと思う。
中高年の大量遭難として記憶にあるのが、89年10月の立山の8人遭難、94年2月の吾妻山山スキーの5人、06年10月白馬で4人など。まだ90年代は遭難するのは山の会だったが、2000年以降はツアー登山ばかりが目立つ。ひょっとすると、もはやツアー登山の客以外は山に入っていないといわんばかりの状況なのかもしれない。
NHKのクローズアップ現代の特集を見た。解説は自分たちも労山でお世話になっている青山先生。やはり自分と同じように、引き返さなかったガイドの判断に問題意識を持っていた。無事下山した人のインタビューがあり貴重な資料だ。北沼の手前では「沢登り状態」になり全身ずぶぬれだったという。
報道によると16日5時半にヒサゴ小屋を出発した一行は、北沼の手前に着いたのが10時とされている。距離は4キロ、標高差は300メートルの登り。普通なら1時間半、なんぼ遅くても2時間で通過しなければならないが、そこまでに4時間半かかっている。この時点で、このペースでは16日中の下山は到底不可能であることは、はっきりしていた。仮に天候が回復しても関係ない。
であるなら、もはやあわてる必要はないわけで、あきらめて北沼の途中でヒサゴ小屋に引き返すべきだった。この判断ができなかったことが最大のミス。仮に早めに引き返す途中で、行動不能者が出ても、1人だけなら小屋への下り道であればガイドで搬送もできた可能性もある。しかし、現実には小屋へ引き返す判断ができず、漫然と進んでしまい、戻るに戻れないところへまで踏み込んでしまった。判断を先送りし、遅らせたことが致命傷につながった。
これは非常に教訓的で、山だけでなく、あらゆる組織に通じるテーマだと思う。ここという時に間髪を入れず独断と批難されても「判断を下す」のが指揮官の責任であり、「民主的」な調整型、「いい人」だけでリーダーの役割は果たせない。
今回の事故のパーティも八甲田山の神田大尉率いる青森第5連隊に何か通じるものを感じてしまう。
行動不能者が出てからの動きとしては、いろいろと批判するのは容易であるが、大人数のツアー客を連れたパーティを全滅させないため、行動を分けてバラバラにしたのも、その状況下においては正しかったのかもしれない。一概にはいえない。
とにかく、北沼の手前、少なくとも2時間歩いた段階で、「本日中の下山は無理」ということは分かったはずであり、ここで潔く小屋に帰還しておれば、下山遅れにはなっても、死者がでることはなかった。再発防止の検証のポイントとして、なぜこの判断をリーダーのガイドができなかったのか?という問題点を深めてほしいと思う。
中高年の大量遭難として記憶にあるのが、89年10月の立山の8人遭難、94年2月の吾妻山山スキーの5人、06年10月白馬で4人など。まだ90年代は遭難するのは山の会だったが、2000年以降はツアー登山ばかりが目立つ。ひょっとすると、もはやツアー登山の客以外は山に入っていないといわんばかりの状況なのかもしれない。
NHKのクローズアップ現代の特集を見た。解説は自分たちも労山でお世話になっている青山先生。やはり自分と同じように、引き返さなかったガイドの判断に問題意識を持っていた。無事下山した人のインタビューがあり貴重な資料だ。北沼の手前では「沢登り状態」になり全身ずぶぬれだったという。
by tosahiro-k
| 2009-07-23 21:57
| 登山