2009年 07月 25日
登山と消費者 |
ツアー登山の問題点をマスコミがさかんに指摘しているが、正直何をいまさらという感はぬぐえない。新聞社系の観光会社もやっていることは同じ。
ツアーの問題点は何年も前から言い尽くされているが、その病根はますます深化して、最近では荷物すら担がない(ネパール人などのポーターに背負わせる)「軽々楽チンツアー」みたいなのまであるというから恐ろしい。
ツアーの客は金を払ってサービスをチョイスする感覚。つまり消費者。恐ろしくツアー情報に精通しているマニアな高齢の女性にもよく出会う。自分は八ツから向こうの山域は行ったことがないのだが、北海道、東北の山、後立、九州、屋久島に海外と彼女たちの行動範囲はすさまじい。
が、登山は自分で創造していくものであって、消費するものではあるまい。この意識のギャップが決定的だと思う。
それゆえに、自分で考える登山者になってほしいという問題意識で、微々たるものではあるけれども、「登山学校」という催しを、かなりの負担をしながら自分の山岳会が中心となって20年以上続けてきた。我々非営利団体である山岳会が提供するサービスは、当然低額になるので、人気はそれなりにあって、結構チョイスされ、リピーターもいる。が、それ以上のものではない。読図にしても、一朝一夕に身につくものではなく、結局、会に入って地道にやるしかない。1人で力が不足する分を仲間と補いながら、創造していくのが山登りだと思う。
しかし、登山学校にきても、最近の人はまず山岳会には入らない。人間関係や、あれこれの制約がわずらわしいのだろうと思うし、その気持ちも分からないではない。
特にうちの高知勤労者山岳会は「敷居が高い」と思われているようで、登山学校の生徒さんに人気がない(笑)。確かに名前は固いし、総合山岳会の看板を掲げているので、無届山行禁止、計画書・報告書提出、準備会などあれこれうるさいことを言う。幹部の中心は40代、高知の核になる重要な位置にある山岳会であると自覚しているが、まあボチボチやっていくしかないだろう。もしこういう組織が消えて、消費型ツアーしか残らなくなったら・・・と思うと恐いものがある。
ツアーの問題点は何年も前から言い尽くされているが、その病根はますます深化して、最近では荷物すら担がない(ネパール人などのポーターに背負わせる)「軽々楽チンツアー」みたいなのまであるというから恐ろしい。
ツアーの客は金を払ってサービスをチョイスする感覚。つまり消費者。恐ろしくツアー情報に精通しているマニアな高齢の女性にもよく出会う。自分は八ツから向こうの山域は行ったことがないのだが、北海道、東北の山、後立、九州、屋久島に海外と彼女たちの行動範囲はすさまじい。
が、登山は自分で創造していくものであって、消費するものではあるまい。この意識のギャップが決定的だと思う。
それゆえに、自分で考える登山者になってほしいという問題意識で、微々たるものではあるけれども、「登山学校」という催しを、かなりの負担をしながら自分の山岳会が中心となって20年以上続けてきた。我々非営利団体である山岳会が提供するサービスは、当然低額になるので、人気はそれなりにあって、結構チョイスされ、リピーターもいる。が、それ以上のものではない。読図にしても、一朝一夕に身につくものではなく、結局、会に入って地道にやるしかない。1人で力が不足する分を仲間と補いながら、創造していくのが山登りだと思う。
しかし、登山学校にきても、最近の人はまず山岳会には入らない。人間関係や、あれこれの制約がわずらわしいのだろうと思うし、その気持ちも分からないではない。
特にうちの高知勤労者山岳会は「敷居が高い」と思われているようで、登山学校の生徒さんに人気がない(笑)。確かに名前は固いし、総合山岳会の看板を掲げているので、無届山行禁止、計画書・報告書提出、準備会などあれこれうるさいことを言う。幹部の中心は40代、高知の核になる重要な位置にある山岳会であると自覚しているが、まあボチボチやっていくしかないだろう。もしこういう組織が消えて、消費型ツアーしか残らなくなったら・・・と思うと恐いものがある。
by tosahiro-k
| 2009-07-25 11:38
| 登山