2011年 11月 11日
無投票について |
高知県知事選は無投票で尾﨑氏が再選した。一部に「共産党までもが」が候補を立てないので、無投票になったじゃないか、これはおかしいみたいな論調があるので一言。
一般論からいえば、投票の機会があったほうが望ましいことはその通りだろう。
だが、現実的に政策的な大きな対立がないのに、対立を自己目的化させることが良いことなのか。それが県民の利益につながるのだろうか、疑問だ。
共産党県議団は、この4年間、尾﨑県政の予算も人事も基本的に賛成し、問題があると指摘する予算に限って削除を求めるという対応をとってきたことは周知の事実なのであるが、そのことを知ってか知らずか、ほとんど報じられないのが不思議。
何でも反対の共産党が、にわかに日和ったみたいな図式にもっていこう、もっていこうというステレオタイプなバイアスを感じてしまう。
政策的に一致するからこそ予算に賛成してきたわけで、それでいて今後の公約もこれまでの路線を踏襲しているのに、とにかく無投票の可能性がでてきたので、おかまいなしに何でもいいから対立候補を立てるというほうが、筋が通らず有権者に対して無責任だし、「違和感」がある。
指摘するのであれば、候補を立てる立てないより以前に、予算に賛成してきたことの是非、図式的、外形的なことではなく、尾﨑県政が実質的にやっていることが、これまでの共産党の主張と矛盾があるかないかを問うことこそをすべきではないか。それはスルーで、結果的に無投票になったのは共産党のせいだみたいな議論はピント外れという他ない。
逆に言えば、共産党が総合的に是とできる県政であり、前県政の改革路線が後退しているわけでもないのであるから、自民党にすれば、実際にはいらつき感があるのではないか。
中谷元や山本有二が、懸命に引っ張ってこようとしている米軍基地や核施設は拒否るし、極右イデオロギーはのってこないし、西武跡地は買わないし。でも、その不満を知事にはよう言わんので、時々部課長らにうっぷんを晴らしているような光景をよく目にする。
話を戻すと、県政に異論がある人は当然いるはずで、無投票になるのは確かによくない。それを言うなら、共産党が出す出さないみたいな枝葉末節ではなく、この問題の本質がどこにあるのかをちゃんと考えるべきだろう。
最大の問題は、立候補したくても供託金が300万円もかかるなど、高すぎるハードルにある。金がなければ立候補の自由がなく、被選挙権が制限されている現実こそが、「投票の機会が奪われる」本質ではないのだろうか。
今回、滑り込みで立候補しようという人がいたのだが、この人は金は用意できたものの、ペンネーム使用についての齟齬があり、出るのを断念したとのこと。
このケースは金が問題ではなかったようだが、金持ちしか選挙に出られないようでは民主主義の根本が揺らぐ。だが、それを問題にした論調は、残念ながら自分の知る限りでは見当りませんね。
一般論からいえば、投票の機会があったほうが望ましいことはその通りだろう。
だが、現実的に政策的な大きな対立がないのに、対立を自己目的化させることが良いことなのか。それが県民の利益につながるのだろうか、疑問だ。
共産党県議団は、この4年間、尾﨑県政の予算も人事も基本的に賛成し、問題があると指摘する予算に限って削除を求めるという対応をとってきたことは周知の事実なのであるが、そのことを知ってか知らずか、ほとんど報じられないのが不思議。
何でも反対の共産党が、にわかに日和ったみたいな図式にもっていこう、もっていこうというステレオタイプなバイアスを感じてしまう。
政策的に一致するからこそ予算に賛成してきたわけで、それでいて今後の公約もこれまでの路線を踏襲しているのに、とにかく無投票の可能性がでてきたので、おかまいなしに何でもいいから対立候補を立てるというほうが、筋が通らず有権者に対して無責任だし、「違和感」がある。
指摘するのであれば、候補を立てる立てないより以前に、予算に賛成してきたことの是非、図式的、外形的なことではなく、尾﨑県政が実質的にやっていることが、これまでの共産党の主張と矛盾があるかないかを問うことこそをすべきではないか。それはスルーで、結果的に無投票になったのは共産党のせいだみたいな議論はピント外れという他ない。
逆に言えば、共産党が総合的に是とできる県政であり、前県政の改革路線が後退しているわけでもないのであるから、自民党にすれば、実際にはいらつき感があるのではないか。
中谷元や山本有二が、懸命に引っ張ってこようとしている米軍基地や核施設は拒否るし、極右イデオロギーはのってこないし、西武跡地は買わないし。でも、その不満を知事にはよう言わんので、時々部課長らにうっぷんを晴らしているような光景をよく目にする。
話を戻すと、県政に異論がある人は当然いるはずで、無投票になるのは確かによくない。それを言うなら、共産党が出す出さないみたいな枝葉末節ではなく、この問題の本質がどこにあるのかをちゃんと考えるべきだろう。
最大の問題は、立候補したくても供託金が300万円もかかるなど、高すぎるハードルにある。金がなければ立候補の自由がなく、被選挙権が制限されている現実こそが、「投票の機会が奪われる」本質ではないのだろうか。
今回、滑り込みで立候補しようという人がいたのだが、この人は金は用意できたものの、ペンネーム使用についての齟齬があり、出るのを断念したとのこと。
このケースは金が問題ではなかったようだが、金持ちしか選挙に出られないようでは民主主義の根本が揺らぐ。だが、それを問題にした論調は、残念ながら自分の知る限りでは見当りませんね。
by tosahiro-k
| 2011-11-11 19:56
| 取材こぼれ話