白馬岳の大量遭難について |
まだ事故の詳細は定かでないが、白馬岳で6人が全滅した事故について、「ジャンパーにTシャツ」などという情報が流れ、お決まりの「中高年の無謀登山」のステレオタイプな大合唱がかまびすしいが、単純にそうとも思われないので、一言触れておく。
遺体収容のテレビ放送を見た限り、装備はそれほどおかしなものには見えなかった。ゴアテックス(たぶん)のアウターを着ていたように見えたし、雨具をアウターに着るのは普通である。冬山であってもうちの山岳会でもそうする。中にフリースなどを着込んでいなかったことも行動中は当たり前であり、行動中に稜線で強風にさらされ急速に体温を奪われて消耗した時、手袋を外して、ザックを開けてアウターを脱ぎ、フリースを着込み、もう一度アウターを着るという作業は容易なことではなく、できなくても不思議ではない。そんな余裕はすでになくなっていたのではないか。
ただメンバーの多くが雨具の下を付けていなかったという情報もある。それが本当ならば雪がある稜線を歩くのに雨具のズボンをはかないのは考えにくい。ズボンは、はいたり脱いだりが困難なので、出発時からはきっぱなしにするのが普通だ。
4日、現地は午前中は低気圧の影響で雨やみぞれだったというが、濡れた後に低気圧が抜けて一気に冬型になり気温が下がり稜線で吹雪にみまわれたのだろう。これは強いパーティであってもなかなか厳しい状況。だが、それで雨具のズボンなしは考えにくいので、出発時には雨は降っていなかったのかもしれない。
また手袋をしていなかったとか、綿のズボンだったという情報も一部あるがちょっと分からない。手袋を初めからしていないとは考えにくく、飛ばされた可能性もあるわけだし、一見綿にみえる化繊も多い。そこは検証を待ちたい。
遺体が見つかったのは、この日の目的地であった白馬山荘までの行程の半分強の小蓮華山だった。この行程はかなりの長丁場であり、小蓮華山まで入りこんでしまうと、風の弱い樹林に逃げ込むこともできないし(風下側は切り立っている)、行っても戻っても時間は変わらないから、もはや進むしかなかった。白馬山頂には、ホテルのような巨大な営業小屋が開いており、行くしかないと考えたのも無理もない。
低体温症の恐ろしさは、なった時には、すでに判断力が鈍り、当たり前の行動ができなくなることで、ツェルト(持っていなかったのか、飛ばされたのか不明)もフリースも、ザックから出せない(吹雪の稜線で装備を出すのは普通でもかなり大変)ことはありうるし、雪洞などこんな状況になってから掘れるわけがない。そもそも吹きさらしの稜線上にそれほど積雪はない。
最大の問題は、4日、荒天が予想されたにもかかわらず行動した判断だろう。予備日を設定した計画だったのか。経験がかなりあって少々吹いても抜ける自信があったのか。犠牲者は医師が多いということだったので勤務で予定通りの下山にこだわったのかもしれない。
地形から見れば引き返しを判断するリミットは乗鞍岳周辺か大池だった。ここで明確な判断がされず、先送りし、小蓮華山方面に入り込んでしまい吹雪かれた。吹雪が朝からであれば、この日の行動は彼らもしなかっただろうし、もう少し早く吹かれば引き返したかもしれない。結局、判断の先送りが深刻な事態を招いてしまった。
6人というパーティも多すぎた。調子を崩したメンバーもいたかもしれない。これが足の揃った3人くらいであったなら、抜けるにしても、撤退するにしても、違った判断になっていたのではないか。
パーティ全員が死亡しており、本当のことは分からないかもしれないが、パーティの意思決定のありようは重要だ。メンバーには高齢の医師が多く、リーダーが垂直的な意思決定ができたのか。文句を言う者がいても敢然と「引き返す」と言え、雨具をきちんと着ける指示ができる関係にあったのだろうか。そもそもリーダーは誰だったのか。
判断の遅れ、余裕あるうちに着けるべき装備を着けさせる指示が徹底できていないこと、営業小屋をあてにした無理のある行程などの背景になにがあるのかが再発防止のための教訓になる。白馬山荘が「くるはずの客が着かない」という認識があったということは予約していたわけであり、行動が計画に縛られていたのかもしれない。条件がよければ、少々遅れても問題なかったが、稜線で吹雪かれてはきびしかった。
また気象庁のアナウンスがどうだったのかという問題意識も気象庁関係者から聞こえてきた。確かに東北の大雨は強調されたが、中部山岳が荒れるというメッセージは聞かれなかったように思う。そのようなアナウンスがあれば彼らの判断に影響を与えたかもしれない。
これから様々な角度から検証されていくだろうが、ただの「無謀登山」で片付けるのではなく、再発防止に役立つきちんとした検証を願いたい。
低体温症は、今にして思えば、10年以上前の正月のことだが、南アルプスの甲斐駒ケ岳に鋸岳から登った時に自分もなったように思う。その頃は体力もあったので、6合目から岩場をグイグイ飛ばしてパーティの中で1人先に山頂に着いてしまい、小1時間ほど吹きさらしの甲斐駒山頂で後続を待ったことがあった。甲斐駒山頂は風よけになるところもない。この日は凍傷者が何人も出るほど風が強かった。行動食も切れてしまい腹が空いたのでじっと待っていたのだが、何やら音が遠くで聞こえるような、ぼーっとした感覚に襲われたが、この時にははっきり自覚できなかった。
やがて後続メンバーが追いつき、北沢峠へ下山を開始したのだが、どうしたことか足がなかなか出ず、歩みが進まない。リーダーに行動食を分けてもらい、ゆっくり足をすすめ、森林限界より下がって風が当たらなくなってから、だんだん正気に戻った感じで、ヘッドランプで北沢峠にバテバテになって着いた。
この時は、山頂からしばらく下れば樹林帯であったから良かったものの、あの状態で、稜線が連続するルートであれば、今考えればやばかったかもと思う。
写真上は2006年GWの白馬主稜。下は白馬山頂から小蓮華山方面へ続く稜線。