2013年 08月 12日
近くて遠い隣国、大韓民国 |
朝鮮戦争休戦60年、李明博前大統領の竹島(独島)上陸1年、橋下「慰安婦」発言とヘイトスピーチで揺れに揺れ、冷え切った最悪の関係の日本と韓国。
こういう時期だからこそ、自分の目と耳で韓国の民衆の思いを感じることができればと、8月7〜10日に休暇を兼ね朝鮮半島に渡り、ソウルと板門店、DMZなどを訪ねてみた。
わずか4日間の1人旅だったが、収穫は絶大で、その内容は機会をみて紹介しようと思うが、韓国の民衆の反日感情だけをいえば、国家間の摩擦とは別物であるということはよく分かった。
今、国内民衆の一番の関心事は大統領選の不正介入問題であり(8月10日夜に反大統領派の大規模集会が計画されていたが日程が合わず取材はできなかった)、連日左右両派がソウル市庁前で激しく対峙していた。一方で慰安婦少女像のある日本大使館前は警備をする警官ばかりで閑散としていた。にわかに反日感情が高まっているかのような気配は感じなかった(8月15日の独立記念日前後には状況が変わるかもしれないが)。
自分のような人間は、むこうの人からみれば一目瞭然に日本人と分かるようで、道や地下鉄内でジロジロとよく見られた。そこに反日的な眼差しがまったくないといえばウソになるが、4日間で直接的に嫌なことを言われたりしたことはなかった。
それどころか、片言の英語で道を訪ねると(ハングルはまったくできないので)、ものすごく親切に対応してくれた。
登った北漢山で知り合ったプログラム会社のCEOの金さんは、スマホの翻訳ソフトで何かと声をかけてくれて、下山したらカルピ、冷麺、マッコリまでご馳走してくれた。
登山口が分からなくなって聞いたら「連れて行ってやるからこい」という朝帰り風の酔ったおじさん、地下鉄の乗り換えを付きっきりで案内してくれた画廊のインターンのナヨンちゃん(可愛かった)。右派の82歳のおじいさんは、大統領支持集会で「何をやっているんですか」と聞くと、「左派は北と繋がっているんだ」と日本語で説明してくれた。総じて若い人は親切だった。
日本語が通じない場末の食堂で何度も食事をしたが、暑いので冷麺を注文したくて「コールド ヌードル プリーズ」とやるが、店のおばちゃんには通じない。困ったおばちゃんが、ビビンバを食べていた客の若い韓国の女の子二人連れに「こいつが何を言っているか聞いてやってくれ」と頼み、店中でわーわーやって、ようやく通じ、一同笑顔で「おー、よかった、よかった」的なことになったり、店のおばちゃんからカムサムニダに該当する日本語を教えろと頼まれ、「ありがとう」と教えてあげたりと、暖かい交流ができた。
もちろん、日本による植民地支配の歴史は若い世代にもきっちり受け継がれているので、日本人のように歴史を知らないでは通用しないのは当然であるが。
ソウルは地下鉄網が完備された近代的な大都市であるが、一方でまだまだ発展途上で、よくみれば「昭和」の雰囲気があちこちに漂り、少し裏通りに入れば古色蒼然とした老朽化した家屋が密集して、ソウル駅前には大量のホームレスがたむろしているなど、この街の抱える問題が少なくないことはすぐ理解できた。
地下鉄ではスマホ率の高さ(サムスンが9割、ガラケー皆無。年齢が高くてもスマホにイヤホン、地下鉄内はオープンWiFi完備)が目立っていた。若い女性は小顔で生足・色白の韓流美人が多く、男子は山用のようなアウトドア風服装が多くて、徴兵制のせいか日本のようにロン毛やアクセサリーは皆無。4日間、自転車にのっている人をまったく見なかったのも不思議だった。
写真は8月9日の板門店。ブルーの小屋の脇の舗装と砂利の境が軍事境界線で、向こう側は北朝鮮。建物の前に北朝鮮兵の姿が見える。今も休戦中であることが実感させられる。韓国兵はすぐに応戦できるように腕を曲げたテコンドースタイル、銃撃戦になった時に素早く身を隠せるようにと体半分だけ出して立っている。北の兵士と視線を合わせないように黒いサングラスも。
by tosahiro-k
| 2013-08-12 01:02
| その他