2014年 02月 10日
東京都知事選挙 なぜ細川は失速したのか |
舛添当選、宇都宮健闘、細川失速について感じていること。
本当の争点は暮らし=生活だったのではないかと思う。
舛添には支持母体の「組織票」があったわけだが、創価学会のことはよく知らないが、自民党系組織はイデオロギーではなく仕事と直結している(と多くの構成員が思わされている)し、連合の職場にもまやかしではあるが同じような世界観がある。
彼らの選挙を多くの無党派の人たちは知らないだろうが、家族の名簿を有無を言わさず毎回選挙の度に提出させ、その「生きた名簿」に本当にキチキチと当たって固めて積み上げる。これが「票読み」である。日本人は「律儀」だから、これはものすごい効力を生む。
細川出馬による危機感により、この締め付けが強まった面はあっただろう。
また、無党派層の票も舛添が比較1位なわけだが、やはり暮らしや経済にプラスになりそうだという感覚が、選択の基準になっていると思う。
舛添に票を投じた人たちの判断基準は、遠くの理想より明日の飯。さしあたっての自分の会社や組織、仕事にとってのプラス、マイナスにあるわけだが、その心情はある意味よく分かる。
宇都宮もベクトルは舛添とは正反対だが、脱原発とともに暮らしや生活を前面に掲げた。これは、日々きびしい生活を強いられている都民の心に一定響いたと思う。同時に今回、宇都宮陣営を支えた無党派の若い層と左派などの共同は今後の希望を感じさせるものではあるが、まだ舛添に票を投じるような人たちを本格的に揺さぶるまでの力量には至っていない。
要はスマホの中まで。靴を脱いで座敷に上がり、こたつの中には入れていない。議員選挙であればよいのかもしれないが、首長を本気に取りにいくとなれば、今後の問題としてここは真剣に考えていく必要があると思う。
かたや細川。脱原発一本槍で、仕事の臭いも生活感もない。「暮らしや福祉は誰がやっても同じ、関係ない」と言ってはばからない庶民生活への無関心さ、さらにはその鎧の下の弱肉強食的な臭いを有権者は敏感に嗅ぎ取ったのかもしれない。
ワンイシューにこだわった「文化人」たちには、そのリアリティが欠落していた。一本化論の独り相撲は宇都宮の足を引っ張るだけでなく、細川陣営にもマイナス効果をもたらしたように思える。
本当の争点は暮らし=生活だったのではないかと思う。
舛添には支持母体の「組織票」があったわけだが、創価学会のことはよく知らないが、自民党系組織はイデオロギーではなく仕事と直結している(と多くの構成員が思わされている)し、連合の職場にもまやかしではあるが同じような世界観がある。
彼らの選挙を多くの無党派の人たちは知らないだろうが、家族の名簿を有無を言わさず毎回選挙の度に提出させ、その「生きた名簿」に本当にキチキチと当たって固めて積み上げる。これが「票読み」である。日本人は「律儀」だから、これはものすごい効力を生む。
細川出馬による危機感により、この締め付けが強まった面はあっただろう。
また、無党派層の票も舛添が比較1位なわけだが、やはり暮らしや経済にプラスになりそうだという感覚が、選択の基準になっていると思う。
舛添に票を投じた人たちの判断基準は、遠くの理想より明日の飯。さしあたっての自分の会社や組織、仕事にとってのプラス、マイナスにあるわけだが、その心情はある意味よく分かる。
宇都宮もベクトルは舛添とは正反対だが、脱原発とともに暮らしや生活を前面に掲げた。これは、日々きびしい生活を強いられている都民の心に一定響いたと思う。同時に今回、宇都宮陣営を支えた無党派の若い層と左派などの共同は今後の希望を感じさせるものではあるが、まだ舛添に票を投じるような人たちを本格的に揺さぶるまでの力量には至っていない。
要はスマホの中まで。靴を脱いで座敷に上がり、こたつの中には入れていない。議員選挙であればよいのかもしれないが、首長を本気に取りにいくとなれば、今後の問題としてここは真剣に考えていく必要があると思う。
かたや細川。脱原発一本槍で、仕事の臭いも生活感もない。「暮らしや福祉は誰がやっても同じ、関係ない」と言ってはばからない庶民生活への無関心さ、さらにはその鎧の下の弱肉強食的な臭いを有権者は敏感に嗅ぎ取ったのかもしれない。
ワンイシューにこだわった「文化人」たちには、そのリアリティが欠落していた。一本化論の独り相撲は宇都宮の足を引っ張るだけでなく、細川陣営にもマイナス効果をもたらしたように思える。
by tosahiro-k
| 2014-02-10 17:24
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