2014年 07月 17日
奥田均 部落解放・人権研究所代表理事の講演を聞いて |
高知県・同県教委主催、第41回「部落差別をなくする運動」強調旬間啓発事業の取り組みとして7月16日、高知県民文化ホール・オレンジで奥田均 部落解放・人権研究所代表理事、近畿大教授の講演があったので取材した。
他メディアは今となっては「部落問題」などには、ほとんど興味がないようで姿を見かけなかったが、自分としては、行政の旧態依然・マンネリ化した「啓発」には批判的視点を持ちつつも、奥田氏の話には少しばかり興味があった。奥田氏は当然、部落解放同盟のイデオローグであるのだが、他県での講演内容を見ると、必ずしもこれまでの解同路線のカーボンコピーだけでなく、彼なりに今日の部落問題の現実から出発して、新しい考えを取り入れようという姿勢が、垣間見えた気がしていたので。
この日の奥田氏の話は、やはりなかなかの「拾いもの」で、まったく奥田氏とは立場を異にする自分が聞いて、半分は納得、半分は「それは違うやろ」というまだら模様、実態を反映した的確な部分あり、とんちんかんな部分ありというものであったが、いずれにせよ「日本人に穢れ意識があるから部落差別はなくならない」としか言わない作家や、猿回し師とテレビ局プロデュサー夫婦の「被差別との結婚」などより、はるかに考えさせられる材料が含まれていた。
奥田氏の講演のポイントは以下。
部落差別というが、何が差別されているかがはっきりしない。人によってバラバラ。部落差別はなぜ部落民差別ではないのか、〇〇差別と言う時には対象者が入るのに、部落差別だけ対象者ではなく場所。部落民とそれ以外は何が違うのか=何も違わない。住んでいる場所が違うだけ。
これまで、まだまだ差別は根深いと言ってきたが、どうもそうではない。インターネットの書き込みも一部だ。多くの人は部落を排除するのではなく、自分の子どもなどが部落関係者として世間に思われ差別される側になることを避けるため、普段は無関心だが、結婚や家を買う時に部落=土地を忌避する。
部落差別はバカバカしい。結婚の時に人格はいいのに、どうして産地が関係するのか。笑い飛ばす感性が必要。同時に、差別的なことを言えば社会的に認められない「人権の世間」をつくらなくてはならない。少し前まで喫煙が跋扈していたが、急速に「禁煙の世間」ができた、これに健康増進法の果たした役割は大きかった。だから差別禁止法が必要だ。
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差別禁止法については、噴飯物だが、途中の問題意識には解同のイデオローグの言葉とは思えない柔軟性がみられ、なかなか興味深い。
「部落差別」の定義や対象者がはっきりしないということは、自分もずっと思ってきたことで、以前、解同高知市協でフランクに話ができたN山さんに同じ質問をぶつけたことがあったが、その時も解同の中心的活動家のN山さんからさえ明確な回答はなかった。奥田氏の問題意識は鋭い。
土地への線引き、忌避意識については、奥田氏の言うような意識も高齢者にはあるだろうが、その他にも確認糾弾路線や行政の特別扱いへの市民的な批判、同和行政の結果として低所得者層の比重を高めてきたことで深刻化する地域の課題などが複雑に絡み合い人々の意識を形づくっており、単純に部落差別的なものを恐れての忌避意識とは言えない側面もあるので、奥田氏の見解には賛同できない部分も多いが、「部落民以外は差別者」的な部落排外主義と一線を画していることには注目したい。
高知市では、旧地域改善住宅の募集情報を地区外に知らせず転入者を拒んでいるのは「差別が根深い」と言っている側であり、奥田氏の言っていることとは逆の現象があることも指摘しておく。
差別禁止法については論外である。タバコを吸うという明瞭な外形がある喫煙と、人間の内面にも関わる「差別」を一緒にするのは程度が低い。奥田氏本人も講演で、部落差別とはどういう差別であるかということ自体がはっきりないと強調していたわけで、障害者であれ女性であれ外国人であれ、対象が明瞭であればまだしも、誰が差別されるのかわからないものを禁止する法律などナンセンスでしかなく、奥田氏自身の発言とも矛盾する。
ついでにいえば、奥田氏が求める「人権の世間」は、部落問題についてはほぼ決着はついていて、何もバタバタすることはないのである。既に国民融合の段階に到達しつつあるのではないだろうか。今日、奥田氏が強調していた「あほらしい」と笑い飛ばす感性が求められるという指摘はその通りだと思う。
部落解放同盟とは立場を異にすることで有名な自分が、半分は共感してしまうようなことを奥田氏が発言しているということは、解同内部からはかなり突き上げがあるのではないだろうか。先日批判したハフポストの「伝統的」な記事内容と比べ、奥田氏の認識は、はるかに今日の部落問題の断面を切り取っている。
それを考えると、今回の講演は学ぶべきことが少なくなかった。高知県・同県教委もこれがやれるのなら、来年は滋賀大の梅田修先生など、国民融合論の先生の話をやってはどうか。いろんな立場の人の話を聞くことが、県民が考えを深めていく啓発研修のあるべき姿なのだから。
他メディアは今となっては「部落問題」などには、ほとんど興味がないようで姿を見かけなかったが、自分としては、行政の旧態依然・マンネリ化した「啓発」には批判的視点を持ちつつも、奥田氏の話には少しばかり興味があった。奥田氏は当然、部落解放同盟のイデオローグであるのだが、他県での講演内容を見ると、必ずしもこれまでの解同路線のカーボンコピーだけでなく、彼なりに今日の部落問題の現実から出発して、新しい考えを取り入れようという姿勢が、垣間見えた気がしていたので。
この日の奥田氏の話は、やはりなかなかの「拾いもの」で、まったく奥田氏とは立場を異にする自分が聞いて、半分は納得、半分は「それは違うやろ」というまだら模様、実態を反映した的確な部分あり、とんちんかんな部分ありというものであったが、いずれにせよ「日本人に穢れ意識があるから部落差別はなくならない」としか言わない作家や、猿回し師とテレビ局プロデュサー夫婦の「被差別との結婚」などより、はるかに考えさせられる材料が含まれていた。
奥田氏の講演のポイントは以下。
部落差別というが、何が差別されているかがはっきりしない。人によってバラバラ。部落差別はなぜ部落民差別ではないのか、〇〇差別と言う時には対象者が入るのに、部落差別だけ対象者ではなく場所。部落民とそれ以外は何が違うのか=何も違わない。住んでいる場所が違うだけ。
これまで、まだまだ差別は根深いと言ってきたが、どうもそうではない。インターネットの書き込みも一部だ。多くの人は部落を排除するのではなく、自分の子どもなどが部落関係者として世間に思われ差別される側になることを避けるため、普段は無関心だが、結婚や家を買う時に部落=土地を忌避する。
部落差別はバカバカしい。結婚の時に人格はいいのに、どうして産地が関係するのか。笑い飛ばす感性が必要。同時に、差別的なことを言えば社会的に認められない「人権の世間」をつくらなくてはならない。少し前まで喫煙が跋扈していたが、急速に「禁煙の世間」ができた、これに健康増進法の果たした役割は大きかった。だから差別禁止法が必要だ。
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差別禁止法については、噴飯物だが、途中の問題意識には解同のイデオローグの言葉とは思えない柔軟性がみられ、なかなか興味深い。
「部落差別」の定義や対象者がはっきりしないということは、自分もずっと思ってきたことで、以前、解同高知市協でフランクに話ができたN山さんに同じ質問をぶつけたことがあったが、その時も解同の中心的活動家のN山さんからさえ明確な回答はなかった。奥田氏の問題意識は鋭い。
土地への線引き、忌避意識については、奥田氏の言うような意識も高齢者にはあるだろうが、その他にも確認糾弾路線や行政の特別扱いへの市民的な批判、同和行政の結果として低所得者層の比重を高めてきたことで深刻化する地域の課題などが複雑に絡み合い人々の意識を形づくっており、単純に部落差別的なものを恐れての忌避意識とは言えない側面もあるので、奥田氏の見解には賛同できない部分も多いが、「部落民以外は差別者」的な部落排外主義と一線を画していることには注目したい。
高知市では、旧地域改善住宅の募集情報を地区外に知らせず転入者を拒んでいるのは「差別が根深い」と言っている側であり、奥田氏の言っていることとは逆の現象があることも指摘しておく。
差別禁止法については論外である。タバコを吸うという明瞭な外形がある喫煙と、人間の内面にも関わる「差別」を一緒にするのは程度が低い。奥田氏本人も講演で、部落差別とはどういう差別であるかということ自体がはっきりないと強調していたわけで、障害者であれ女性であれ外国人であれ、対象が明瞭であればまだしも、誰が差別されるのかわからないものを禁止する法律などナンセンスでしかなく、奥田氏自身の発言とも矛盾する。
ついでにいえば、奥田氏が求める「人権の世間」は、部落問題についてはほぼ決着はついていて、何もバタバタすることはないのである。既に国民融合の段階に到達しつつあるのではないだろうか。今日、奥田氏が強調していた「あほらしい」と笑い飛ばす感性が求められるという指摘はその通りだと思う。
部落解放同盟とは立場を異にすることで有名な自分が、半分は共感してしまうようなことを奥田氏が発言しているということは、解同内部からはかなり突き上げがあるのではないだろうか。先日批判したハフポストの「伝統的」な記事内容と比べ、奥田氏の認識は、はるかに今日の部落問題の断面を切り取っている。
それを考えると、今回の講演は学ぶべきことが少なくなかった。高知県・同県教委もこれがやれるのなら、来年は滋賀大の梅田修先生など、国民融合論の先生の話をやってはどうか。いろんな立場の人の話を聞くことが、県民が考えを深めていく啓発研修のあるべき姿なのだから。
by tosahiro-k
| 2014-07-17 23:40
| 取材こぼれ話