2007年 01月 05日
経緯 |
新年早々、我「高知新聞」にいちゃもんをつけさせていただきます。
1月5日付けの支局コラム。いの町へ高知市が無期限で年間7500万円を支払っている仁淀川取水協力金を高知市議会が全会一致で見直しを求めたことを「流域への敬意が欠けている」ときた。ならばこのコラムに欠けているのは「敬意」ではなく「経緯」だ。
仁淀川取水のドロドロした経緯を本当に知っているなら、そのような発想にはならないはず。この協定は高知市が陸軍中野学校出身のやり手で知られる故I上町長に手玉にとられ、弱みにつけ込まれてまったく市民に知らされないままに強引に調印させられたものであることは今となっては広く知られている。
ついでに言うと、協力金は春野町に3億、土佐市に3億ぽっきりなのに、伊野町にはモロモロを総額を合計すると現在25億。しかもそれは無期限で、高知市民は今後も永遠に年間7500万円をいの町に払い続けなければならないというから驚く。取水口は確かに伊野なのであるが、春野に近い八田堰近くで、伊野への影響は一番少ないのにである。
結局、取水口を掘らせることをいいことにした、高知市の弱みにつけ込んだ一種のタカリではないか。
「取水口近くの住民が長年治水に取りくんできたから取水ができる」、「有史以来毎年のように氾濫してきた仁淀川に多大な犠牲を払い集落を再興」、「194号線は堤防上の道。血のにじむような苦労やコストは現在の協力金に換算できない」
うーん、このコラム。何がいいたいのか?まったく意味が分からないぞ。194号線が堤防の上を走っているのは伊野ではなく、ずっと上流の旧神谷村、鹿敷あたりのことだろう。で取水口ははるか下流の音竹地区(たぶん5キロ以上下流)であり、関係性は極めて薄い。
また有史以来、伊野が仁淀川の氾濫とたたかって発展してきたのは、そうなんだろうけど、それは伊野の人々が自分たちが生きるためにやったことであり、つい最近の取水とは関係ない。なんでそれを協力金に換算しなければならないだろうか。換算などできないのは当りまえである。
またここ何十年も宇治川の逆流による枝川地区の浸水は繰り返されても、仁淀川本流の氾濫はないし、取水口近くの住民が治水??に至っては治水の意味分かっているのだろうか。
味噌も○○も一緒みたいな話であり、高知市に金を出させ続ける理由には、まったくなっていないといわなければならない。
取水の影響があるとすれば伊野よりさらに下流の春野のほうがずっとあるわけで、その春野が高知市に合併されるのを機会に協力金を見直せという、「たるばあ取ったき、もうえいろ」という今回の市議会の意思表示は極めて正しいというか当然である。これにケチをつける感覚は相当にピントがぼけている。
年7500万円の協力金の目的は水質浄化のためということになっている。伊野は製紙の町であり、多くの工場が、排水を仁淀川に流している。小学生の頃仁淀川の「六角」や「三角」で鮎やイダをよく釣ったが、工場が排水すると水が白濁して異臭がし、釣り糸にパルプのカスがついたものだ。であるからして水質浄化の対策強化は大事な課題なのだが、企業体力の低下もあり、一行に進んでいないのが実際で、要するに高知市民が出した金は水質浄化にはほとんど使われていない。にもかかわらず、高知市が漫然と支出を続けることは一種の背任的行為ともいえる。今流行の言い方をすれば「違法不当」な支出だ。
ついでに言うと、伊野の圧倒的な者は、高知市内で働いたり、通学している。つまり昼間はジャンジャン高知市で水を使っているわけで、高知市の水不足に、いの町民もまったく第三者ではないのである。
また高知市は何もいの町に水を分けてもらっているわけではない。高知市が有している仁淀川の水利権を正当に行使しているだけである。もし協力金を払うのであれば、旧仁淀村等の水源地の涵養に使うべきであろう。下流域のいの町にいくら導水トンネルを掘らせてもらったとはいえ、25億円も払えばもう充分ではないか。
1月5日付けの支局コラム。いの町へ高知市が無期限で年間7500万円を支払っている仁淀川取水協力金を高知市議会が全会一致で見直しを求めたことを「流域への敬意が欠けている」ときた。ならばこのコラムに欠けているのは「敬意」ではなく「経緯」だ。
仁淀川取水のドロドロした経緯を本当に知っているなら、そのような発想にはならないはず。この協定は高知市が陸軍中野学校出身のやり手で知られる故I上町長に手玉にとられ、弱みにつけ込まれてまったく市民に知らされないままに強引に調印させられたものであることは今となっては広く知られている。
ついでに言うと、協力金は春野町に3億、土佐市に3億ぽっきりなのに、伊野町にはモロモロを総額を合計すると現在25億。しかもそれは無期限で、高知市民は今後も永遠に年間7500万円をいの町に払い続けなければならないというから驚く。取水口は確かに伊野なのであるが、春野に近い八田堰近くで、伊野への影響は一番少ないのにである。
結局、取水口を掘らせることをいいことにした、高知市の弱みにつけ込んだ一種のタカリではないか。
「取水口近くの住民が長年治水に取りくんできたから取水ができる」、「有史以来毎年のように氾濫してきた仁淀川に多大な犠牲を払い集落を再興」、「194号線は堤防上の道。血のにじむような苦労やコストは現在の協力金に換算できない」
うーん、このコラム。何がいいたいのか?まったく意味が分からないぞ。194号線が堤防の上を走っているのは伊野ではなく、ずっと上流の旧神谷村、鹿敷あたりのことだろう。で取水口ははるか下流の音竹地区(たぶん5キロ以上下流)であり、関係性は極めて薄い。
また有史以来、伊野が仁淀川の氾濫とたたかって発展してきたのは、そうなんだろうけど、それは伊野の人々が自分たちが生きるためにやったことであり、つい最近の取水とは関係ない。なんでそれを協力金に換算しなければならないだろうか。換算などできないのは当りまえである。
またここ何十年も宇治川の逆流による枝川地区の浸水は繰り返されても、仁淀川本流の氾濫はないし、取水口近くの住民が治水??に至っては治水の意味分かっているのだろうか。
味噌も○○も一緒みたいな話であり、高知市に金を出させ続ける理由には、まったくなっていないといわなければならない。
取水の影響があるとすれば伊野よりさらに下流の春野のほうがずっとあるわけで、その春野が高知市に合併されるのを機会に協力金を見直せという、「たるばあ取ったき、もうえいろ」という今回の市議会の意思表示は極めて正しいというか当然である。これにケチをつける感覚は相当にピントがぼけている。
年7500万円の協力金の目的は水質浄化のためということになっている。伊野は製紙の町であり、多くの工場が、排水を仁淀川に流している。小学生の頃仁淀川の「六角」や「三角」で鮎やイダをよく釣ったが、工場が排水すると水が白濁して異臭がし、釣り糸にパルプのカスがついたものだ。であるからして水質浄化の対策強化は大事な課題なのだが、企業体力の低下もあり、一行に進んでいないのが実際で、要するに高知市民が出した金は水質浄化にはほとんど使われていない。にもかかわらず、高知市が漫然と支出を続けることは一種の背任的行為ともいえる。今流行の言い方をすれば「違法不当」な支出だ。
ついでに言うと、伊野の圧倒的な者は、高知市内で働いたり、通学している。つまり昼間はジャンジャン高知市で水を使っているわけで、高知市の水不足に、いの町民もまったく第三者ではないのである。
また高知市は何もいの町に水を分けてもらっているわけではない。高知市が有している仁淀川の水利権を正当に行使しているだけである。もし協力金を払うのであれば、旧仁淀村等の水源地の涵養に使うべきであろう。下流域のいの町にいくら導水トンネルを掘らせてもらったとはいえ、25億円も払えばもう充分ではないか。
by tosahiro-k
| 2007-01-05 17:13
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