2007年 08月 02日
橋本知事引退と高新の「スクープ」 |
橋本大二郎氏が、次期知事選に不出馬を表明した。高知県にとって、参院選の自民敗北がかすむメガトン級の大事件だ。8月1日の引退会見で知事が語っていた言葉は、自分の受け取った感じだと、いまひとつ本音を語っていない気がするので、少し書いておく。
6月に橋本氏が地方行政に無力感を感じていることについて当ブログに書いたことがある。これはある人との会話がヒントになっていたのだが、今回橋本氏が、「地方の限界」、「壁」を強調して次は出ないという理由にしていたこととぴったり符合するわけで、「ああこのことだったのか」と納得した。確かに知事はこのところ、どこかよそ事で上の空で遠くを見ていたような感じがあったし、7月25日の定例会見でも「もう終わり?寂しいな」と最後に言うなど、異変の兆候は今思えば見られた。だいたい高知県はもうじき再建団体になる寸前で財政の自由度など無いに等しいし、駅前複合施設、女子大移転など出すもの出すもの全部否定されたのも、堪えたのかも知れない。
「投げ出し」、「敵前逃亡」という指摘もあり、それもあたっているとは思うが、考えれば橋本氏も60歳。政治家として残された時間はそう長くない。中央政界でも総理をねらえるタマの橋本氏が、今回の「乱世」を機敏にとらえて「今しかない、俺の出番だ」とクラっときたのはある意味理解できる。残念ではあるが、とりあえずお疲れさまと言いたい。
会見では、「限界」という割には、意気軒昂というか、話しの端々に自負がのぞいていた。本音では知事という労多く縛られるポジションより、「乱世」の中で、フリーハンドを確保しておき、細川護煕のように、あわよくば上昇気流に乗って「国盗り」を目指すという感じがする。
橋本氏は以前から、「何故国政ではなく知事なのか」という理由に、今から国会に行ったところで自民党の議員はたくさんおり、上がつかえていてすぐに影響力を行使できないが、知事ならすぐにトップに立てるからだという意味のことを繰り返していた。
今回、橋本氏が衆議院議員をめざすからには、一議員で終わるつもりはサラサラないわけで、今なら政界再編、政権交代の中ですぐに国政に影響力を行使するポジションを得ることができる腹づもりがあるのであろう。
彼のそのあたりの嗅覚は鋭く、機を見るに敏。風向きを読んでここ一番で大胆な決断ができる人物だが、それはオポチュニズム(日和見)と紙一重。橋本氏が早ければ秋にもあると言われる総選挙(知事選より早いかも)の「台風の目」になる可能性は大きいが、前回書いたように、今回の有権者の変動の質は過去のものとは単純に同じではないわけで、そのあたりを見誤ると、議員になったはいいが、不発に終わる可能性もあるかもしれない。
ま、自分の出処進退は自分で決めればいいことだが、合点がいかないのが、8月1日付け高新の引退「スクープ」。知事引退というきわめて県民的な関心が高く、公的性格の強いニュースである。これまでの記者会見の度に進退問題での質問が出て、橋本氏はその度に「もう少し待ってくれ。参院選が終わったら言うから」と公言してきた経過がある。それをちゃっかり高新だけに先に書かせるとは、一体どういうことであろうか。こういう事はちゃんと会見をやって一斉に公表するのが公人の常識だ。
これまで知事は高新からさんざん攻撃されてきたこともあってか(つい数ヶ月前まで基金協会問題で尋常でない攻撃を受けていた)、高新を特別扱いすることはなかった。知事が2006年3月に出版した「融通無碍」では、三宝山の道の買い上げをめぐっての高新と前県政の癒着に言及し、「主観的なものの見方、訳知り顔な表現が勝ちすぎている」などと高新を厳しく批判していた。それだけに今回の「スクープ」は読後感が悪いというか、一種異様な感じさえする。
確かに統一地方選あたりから、両者の歩み寄りというか、蜜月ぶりを顕著に感じたが、それにしても今回の「スクープ」は禁じ手ではなかったか。高新にすればいざという時に特別扱いしてもらえるのも実力と言うかもしれないが、よそより先に教えてもらって1日早く書くのをスクープとは言わない。以前「次期選挙出馬へ」とトップで書かされた読売は良い面の皮。結局、橋本氏が転身に備えて、高新に「恩を売った」ようにしか見えないのである。
6月に橋本氏が地方行政に無力感を感じていることについて当ブログに書いたことがある。これはある人との会話がヒントになっていたのだが、今回橋本氏が、「地方の限界」、「壁」を強調して次は出ないという理由にしていたこととぴったり符合するわけで、「ああこのことだったのか」と納得した。確かに知事はこのところ、どこかよそ事で上の空で遠くを見ていたような感じがあったし、7月25日の定例会見でも「もう終わり?寂しいな」と最後に言うなど、異変の兆候は今思えば見られた。だいたい高知県はもうじき再建団体になる寸前で財政の自由度など無いに等しいし、駅前複合施設、女子大移転など出すもの出すもの全部否定されたのも、堪えたのかも知れない。
「投げ出し」、「敵前逃亡」という指摘もあり、それもあたっているとは思うが、考えれば橋本氏も60歳。政治家として残された時間はそう長くない。中央政界でも総理をねらえるタマの橋本氏が、今回の「乱世」を機敏にとらえて「今しかない、俺の出番だ」とクラっときたのはある意味理解できる。残念ではあるが、とりあえずお疲れさまと言いたい。
会見では、「限界」という割には、意気軒昂というか、話しの端々に自負がのぞいていた。本音では知事という労多く縛られるポジションより、「乱世」の中で、フリーハンドを確保しておき、細川護煕のように、あわよくば上昇気流に乗って「国盗り」を目指すという感じがする。
橋本氏は以前から、「何故国政ではなく知事なのか」という理由に、今から国会に行ったところで自民党の議員はたくさんおり、上がつかえていてすぐに影響力を行使できないが、知事ならすぐにトップに立てるからだという意味のことを繰り返していた。
今回、橋本氏が衆議院議員をめざすからには、一議員で終わるつもりはサラサラないわけで、今なら政界再編、政権交代の中ですぐに国政に影響力を行使するポジションを得ることができる腹づもりがあるのであろう。
彼のそのあたりの嗅覚は鋭く、機を見るに敏。風向きを読んでここ一番で大胆な決断ができる人物だが、それはオポチュニズム(日和見)と紙一重。橋本氏が早ければ秋にもあると言われる総選挙(知事選より早いかも)の「台風の目」になる可能性は大きいが、前回書いたように、今回の有権者の変動の質は過去のものとは単純に同じではないわけで、そのあたりを見誤ると、議員になったはいいが、不発に終わる可能性もあるかもしれない。
ま、自分の出処進退は自分で決めればいいことだが、合点がいかないのが、8月1日付け高新の引退「スクープ」。知事引退というきわめて県民的な関心が高く、公的性格の強いニュースである。これまでの記者会見の度に進退問題での質問が出て、橋本氏はその度に「もう少し待ってくれ。参院選が終わったら言うから」と公言してきた経過がある。それをちゃっかり高新だけに先に書かせるとは、一体どういうことであろうか。こういう事はちゃんと会見をやって一斉に公表するのが公人の常識だ。
これまで知事は高新からさんざん攻撃されてきたこともあってか(つい数ヶ月前まで基金協会問題で尋常でない攻撃を受けていた)、高新を特別扱いすることはなかった。知事が2006年3月に出版した「融通無碍」では、三宝山の道の買い上げをめぐっての高新と前県政の癒着に言及し、「主観的なものの見方、訳知り顔な表現が勝ちすぎている」などと高新を厳しく批判していた。それだけに今回の「スクープ」は読後感が悪いというか、一種異様な感じさえする。
確かに統一地方選あたりから、両者の歩み寄りというか、蜜月ぶりを顕著に感じたが、それにしても今回の「スクープ」は禁じ手ではなかったか。高新にすればいざという時に特別扱いしてもらえるのも実力と言うかもしれないが、よそより先に教えてもらって1日早く書くのをスクープとは言わない。以前「次期選挙出馬へ」とトップで書かされた読売は良い面の皮。結局、橋本氏が転身に備えて、高新に「恩を売った」ようにしか見えないのである。
by tosahiro-k
| 2007-08-02 00:43
| 取材こぼれ話