2007年 10月 13日
高知女子大の移転計画について |
今回ボツった移転案を、県が秘密裏に一方的にごり押ししたかのように批判している人がいるが、それは事実として違う。このプランは、その方々の多くが高く評価している青山前学長を先頭に女子大側が希望していたものに近いプランを、すくなくとも現山根学長をはじめ大学首脳の合意のもとにだされてきたものだ。
池に看護学部中心に固め、共学化は棚上げ、社会科学系や短大については我関せず、で独法化をめざす。この方向は、青山氏がいるときには、県とまともな話ができず、さっぱりまとまらず、県も駅前などという邪道をだしてよけいに混乱させたので、ぐちゃぐちゃになったのだが、皮肉にも新学長のもとで「まとまり」、県とすりあわせて、正規の案として出てきたのである。おそらく誰が学長になっても不動の方向性なのであろう。
共産党はその「まとめ方」に瑕疵があるとのことで反対の理由にしたが、ま、そこがクリアされて大学側がなお池統合を望むなら、それは否定されるべきものではない。追手前小の時は、「商店街のために小学校を追い出すのは許されない」と言っていたはずなのに、今度は「商店街のために池に何がなんでもいかさない」というのでは矛盾している。
元々、自分は女子大学部が永国寺から出ていくのは、もったいないと思っていたが、当の女子大が「いらない」というのであれば、しかたがない。県民の財産として文教地区にふさわしく、新社会科学系学部や図書館などで活用すればよいのではないだろうか。
よくも悪くもこの青山プランはリセットされたわけで、今後どうまとめるかは大学の意思次第。「主戦場」は大学の中である。これまでは先生も学生も肝心のそこを避けてきたのではないだろうか。
学生の問題で言うと、「私ら入試の時に移転予定を聞いてなかった」というのは確かに大問題で、大学側が責任をもってきちんとした手を打つ必要があるが、それだけで移転させないというのは理由になりにくく、支持は広がらないのではないか。また「不便はいや」、「あんなに遠くては原付でも無理。車がいる」というのも、言い過ぎのような気がする。現在、その「不便で遠い距離」を池から一般教養を受けに永国寺まで通っている学生も多くいるのである(池キャンパスから永国寺まで約7キロ)。外野の思惑は脇に置いて、多くの学生の意思を集約し、大学側とじっくり話しあい、勉学や研究のためにふさわしい、あるべき大学の方向を出してもらえたらと思う。
また金の面であるが、金がないので教育に金をかけないという論理に同調することはできないし、大学は人材をつくり、不足する看護師不足に応えるものであるわけであるから、財政面だけでみることは正しくない。
ただ、金の面からみたとしても、企業誘致と名が付けばテレアポ・オーシャンテレコムのようなところに10億円もの税金を垂れ流す予算をたてることを考えるなら、50、60億かかろうと、大学を充実増員させることは費用対効果で考えても抜群に有利である。将来にわたって県外からくる学生が落とす金は天文学的だし、県外に出ていた学生が県内に残る効果も大きい。運営費は授業料収入と交付税で、まかなえていることを考えると、たとえ箱に金をかけてもトータルではペイできるし、もっとも効率のよい「集客施設」の誘致ではないかと思う。
写真は「高知女子大学大学改革2006中長期計画」ダイジェスト版
by tosahiro-k
| 2007-10-13 23:07
| 取材こぼれ話