2007年 10月 18日
高知女子大の移転計画について(2) |
県立女子大問題では、県の肩ばかり持っていると思われているムキがあるが、県には県でいろいろと思うところはある。生意気を承知で若干書かせていただきます。
6月議会でボツになったのとほぼ同じ議案を9月議会に出してきたのだが、21年春に開学しなければならない理由がはっきりしなかった。6月には、血相を変えて「看護士が足りなくなってもいいんですか!」「責任とれるんですか」的な迫り方をしていた。県看の廃止を先に決めておいて(企画がしたわけではないが)、「看護士不足になっても知らんぞ」とばかりに言うのは、厚かましいの~と思ったものだが、仮にも大義名分が一応はあった。
しかし、9月は、看護士不足は問題は、ほとんど強調されず(県看とは層が違うので、直接的にリンクするものでもないということだと思う)、旗印が鮮明ではなかった。逆に「こんな大きな事業は新知事のもとでやるべきだ」という言い分が、一定の説得力を持つような状況が生まれてしまった。やはりチト焦ったか?
そして何より、昨年の駅前構想というミステイクである。駅前のノッポビルに大学を押し込んで了とする時点で、ホンマに県は大学や学生のことをきちんと考えているのかと信用を大きく失ったと思う。「池キャンパスへの統一は大学が決めたこと」と今さら言っても駅前のことを思い出すと虚しい。
さらにこの時期には、永国寺を残すのは南側だけで北やグランドは売るかのようなことまで言っていた。今回、「永国寺を残す」と言ったが、やはりこのような「前科」があるので、いまひとつ感情的に信用しにくいのだ。
他に、いきなり手のひらを返したような財政論も「金がないない言うに、女子大になったら急に金が沸いてくるがやにゃあ」と職員に思われる状況、また大学内の意思決定のプロセスの重要性への認識の不十分さ、世論を味方につける理屈の打ち出し(大学の経済効果の強調など)の不十分さ等々言いたいことはいろいろあるのだが、いずれにしても、県立大改革は、新しい知事のもとで取り組まれることになったわけであるから、腰を据えてこれまでの反省を十分生かし、真に県民のための大学にむけ取り組んでいただけたらと思う。
6月議会でボツになったのとほぼ同じ議案を9月議会に出してきたのだが、21年春に開学しなければならない理由がはっきりしなかった。6月には、血相を変えて「看護士が足りなくなってもいいんですか!」「責任とれるんですか」的な迫り方をしていた。県看の廃止を先に決めておいて(企画がしたわけではないが)、「看護士不足になっても知らんぞ」とばかりに言うのは、厚かましいの~と思ったものだが、仮にも大義名分が一応はあった。
しかし、9月は、看護士不足は問題は、ほとんど強調されず(県看とは層が違うので、直接的にリンクするものでもないということだと思う)、旗印が鮮明ではなかった。逆に「こんな大きな事業は新知事のもとでやるべきだ」という言い分が、一定の説得力を持つような状況が生まれてしまった。やはりチト焦ったか?
そして何より、昨年の駅前構想というミステイクである。駅前のノッポビルに大学を押し込んで了とする時点で、ホンマに県は大学や学生のことをきちんと考えているのかと信用を大きく失ったと思う。「池キャンパスへの統一は大学が決めたこと」と今さら言っても駅前のことを思い出すと虚しい。
さらにこの時期には、永国寺を残すのは南側だけで北やグランドは売るかのようなことまで言っていた。今回、「永国寺を残す」と言ったが、やはりこのような「前科」があるので、いまひとつ感情的に信用しにくいのだ。
他に、いきなり手のひらを返したような財政論も「金がないない言うに、女子大になったら急に金が沸いてくるがやにゃあ」と職員に思われる状況、また大学内の意思決定のプロセスの重要性への認識の不十分さ、世論を味方につける理屈の打ち出し(大学の経済効果の強調など)の不十分さ等々言いたいことはいろいろあるのだが、いずれにしても、県立大改革は、新しい知事のもとで取り組まれることになったわけであるから、腰を据えてこれまでの反省を十分生かし、真に県民のための大学にむけ取り組んでいただけたらと思う。
by tosahiro-k
| 2007-10-18 00:48
| 取材こぼれ話