2008年 03月 08日
旅立ちの日に 最後の練習 |
いよいよ、子供の通う高知市立中の卒業式が3月14日に迫った。うちの中学校では、生徒・教師・保護者の三者の共同でつくる卒業式というコンセプトで式のフィナーレに「旅立ちの日に」を三者でバッチリ合唱しようということになっていた。
3年の1学期からことあるごとに、この曲を保護者に聞かせて、「卒業式では一緒に歌います」と言ってきて、10月からは夜、先生有志と父母が集まって、練習を重ねてきた。その模様をRKCが放送してくれたので、ひょっとするとご覧になったかたもいるかも知れない。
3月6日に最後の練習があった。仕上がりはまだまだだけれど、なんとか混声3部合唱のかたちが見えてきたかなというところ。男性M先生の音の外れが玉に瑕ですが・・・ 音声ファイルはこちら
生徒190人の学年で、一度でも夜の歌の練習に参加してしてもらった保護者は100人近くはいると思う。本番の式ではたぶん上手く歌えないと思うけれど、ここまでやってきて感じたことは、とにかく合唱団に入ったみたいで面白く、練習が待ちどおしかった。男性パート練習では、吹奏楽顧問の先生に指導してもらったり、音痴の先生には自分が「先生、そこ違う」と教えたり。
練習では懐かしい顔もあった。学生の時のクラスメートがお母さんになって何十年ぶりに肩を並べて歌ったり、民青のうたごえのマドンナだったMちゃんも最終の練習には来てくれて、本格的な美声を聞かせた。録音では、最後にのばす所で、すごいソプラノが響いているのがはっきり分かると思います。
とにかく難しいことは抜きにして、保護者と先生が、夜な夜な歌声を響かせているような学校は、絶対良い学校になると思う。
合唱を通じて、親が教師を刺々しく追及するだけではなく、信頼しよう、支えようという雰囲気が醸成されてきたように感じる。最近の報道や県教委の言い方は、教師と保護者の溝を深め、不信感をあおる傾向が強く、親は何かというと、学校にクレームをつけ、不信の塊みたいなパターンが多い。でもこれでは学校は絶対良くならない。
もちろん、言うべき時には頑と言うのは当然で、自分も同和教育、修学旅行を沖縄からろくな理由付けもなくスキーにしたこと、暴力事件への対応などでは、きびしい議論をしてきたが、ここ一番では、先生を信頼しなければ、教育は成り立たないような気がする。
「土佐の教育改革」の総括や、「開かれた学校づくり」がどうのこうのと最近よく言われるが、難しいことは、よく分からない。ただうちの中学校の試みが、他校でも何かヒントにしてもらえればと思う。
市議選に出るために転居したため、うちの中学から東部の学校に転校したH木市議の子供は、転校しなければうちと一緒の卒業だったので、その意味では残念だった。H木の所は、保護者の学校参加の雰囲気があまりないみたいで、卒業式後の謝恩会もなしとのこと。うちの学校のお母さん軍団は、謝恩会の隠し芸の踊りや衣装の準備に今から余念がなく、異様な盛り上がりを見せているのに・・・。同じ公立中でも随分学校によって雰囲気が違うものデス。
3年の1学期からことあるごとに、この曲を保護者に聞かせて、「卒業式では一緒に歌います」と言ってきて、10月からは夜、先生有志と父母が集まって、練習を重ねてきた。その模様をRKCが放送してくれたので、ひょっとするとご覧になったかたもいるかも知れない。
3月6日に最後の練習があった。仕上がりはまだまだだけれど、なんとか混声3部合唱のかたちが見えてきたかなというところ。男性M先生の音の外れが玉に瑕ですが・・・ 音声ファイルはこちら
生徒190人の学年で、一度でも夜の歌の練習に参加してしてもらった保護者は100人近くはいると思う。本番の式ではたぶん上手く歌えないと思うけれど、ここまでやってきて感じたことは、とにかく合唱団に入ったみたいで面白く、練習が待ちどおしかった。男性パート練習では、吹奏楽顧問の先生に指導してもらったり、音痴の先生には自分が「先生、そこ違う」と教えたり。
練習では懐かしい顔もあった。学生の時のクラスメートがお母さんになって何十年ぶりに肩を並べて歌ったり、民青のうたごえのマドンナだったMちゃんも最終の練習には来てくれて、本格的な美声を聞かせた。録音では、最後にのばす所で、すごいソプラノが響いているのがはっきり分かると思います。
とにかく難しいことは抜きにして、保護者と先生が、夜な夜な歌声を響かせているような学校は、絶対良い学校になると思う。
合唱を通じて、親が教師を刺々しく追及するだけではなく、信頼しよう、支えようという雰囲気が醸成されてきたように感じる。最近の報道や県教委の言い方は、教師と保護者の溝を深め、不信感をあおる傾向が強く、親は何かというと、学校にクレームをつけ、不信の塊みたいなパターンが多い。でもこれでは学校は絶対良くならない。
もちろん、言うべき時には頑と言うのは当然で、自分も同和教育、修学旅行を沖縄からろくな理由付けもなくスキーにしたこと、暴力事件への対応などでは、きびしい議論をしてきたが、ここ一番では、先生を信頼しなければ、教育は成り立たないような気がする。
「土佐の教育改革」の総括や、「開かれた学校づくり」がどうのこうのと最近よく言われるが、難しいことは、よく分からない。ただうちの中学校の試みが、他校でも何かヒントにしてもらえればと思う。
市議選に出るために転居したため、うちの中学から東部の学校に転校したH木市議の子供は、転校しなければうちと一緒の卒業だったので、その意味では残念だった。H木の所は、保護者の学校参加の雰囲気があまりないみたいで、卒業式後の謝恩会もなしとのこと。うちの学校のお母さん軍団は、謝恩会の隠し芸の踊りや衣装の準備に今から余念がなく、異様な盛り上がりを見せているのに・・・。同じ公立中でも随分学校によって雰囲気が違うものデス。
by tosahiro-k
| 2008-03-08 01:08
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