2008年 07月 27日
同和行政をなくす会 |
高知市の同和問題についてある県レベルの団体で話をする機会があったのだが、そこで自分が一番強調したかったのは、理念先行ではなく、現実の実態から、とりわけ、同和教育=学校の中のことだけではなく、はるかに問題が大きい学校外のこと、すなわち現存する日常の同和行政の実態をつかみ、関心を持ってチェックをかけていこうということだったのだが、どこまで伝わったのかは極めて疑問だ。
やはり「理念先行の空中戦」、「教室の中」の話に矮小化しがちになる従来の「先生」型の運動にしかならないのかな~というのが実感。
ここが、大阪や京都と違い高知の運動の弱点だと思うが、自治体関係者が同和関係の運動にほとんど関わっておらず、やっているのは教師ばかり。教師がやるのが、いかんとはいわんが、やはり郡部出身中心・高校中心になると、天王山の高知市の同和行政の実態についての知識や問題意識は希薄にならざるをえないだろう。
今日、理念問題や狭義の「同和教育」を、100回やっても全然打撃にならない。それより、普通の市民感覚で「なんであそこだけは特別扱いなの?」という行政の不公正の実態を広げていくほうがはるかに効果的だ。
同和行政撤廃を掲げ、随契撤廃をめざさなければならないはずの団体が、随契を現に受けている団体を内包していて何ら問題にならない論理が自分にはよく分からないのだが、大阪や京都では、自治体関係者にくわえ弁護士や大学教員などのイニシアチブも目立つ。良識派高知市職員、弁護士、女性などを柱にした、市民感覚で公正な行政を求めていく、「高知市の同和行政をなくす会」のような高知市レベルの新たな運動母体が必要な時のような気がする。
自分としては、これだけネタは提供してきたわけで、あとは住民運動で二の矢、三の矢をやってくださいというのが本音であるが、そういうレベルの運動がいまだに構築できていないことが、今日の状況を許している側面があると思う。
やはり「理念先行の空中戦」、「教室の中」の話に矮小化しがちになる従来の「先生」型の運動にしかならないのかな~というのが実感。
ここが、大阪や京都と違い高知の運動の弱点だと思うが、自治体関係者が同和関係の運動にほとんど関わっておらず、やっているのは教師ばかり。教師がやるのが、いかんとはいわんが、やはり郡部出身中心・高校中心になると、天王山の高知市の同和行政の実態についての知識や問題意識は希薄にならざるをえないだろう。
今日、理念問題や狭義の「同和教育」を、100回やっても全然打撃にならない。それより、普通の市民感覚で「なんであそこだけは特別扱いなの?」という行政の不公正の実態を広げていくほうがはるかに効果的だ。
同和行政撤廃を掲げ、随契撤廃をめざさなければならないはずの団体が、随契を現に受けている団体を内包していて何ら問題にならない論理が自分にはよく分からないのだが、大阪や京都では、自治体関係者にくわえ弁護士や大学教員などのイニシアチブも目立つ。良識派高知市職員、弁護士、女性などを柱にした、市民感覚で公正な行政を求めていく、「高知市の同和行政をなくす会」のような高知市レベルの新たな運動母体が必要な時のような気がする。
自分としては、これだけネタは提供してきたわけで、あとは住民運動で二の矢、三の矢をやってくださいというのが本音であるが、そういうレベルの運動がいまだに構築できていないことが、今日の状況を許している側面があると思う。
by tosahiro-k
| 2008-07-27 17:22
| 取材こぼれ話