2012年 03月 17日
吉本隆明死去 |
吉本隆明死去。「反逆のカリスマ」、「知の巨人」と各紙は追悼で礼賛一色であった。
最近は、この手の話はしなくなったし、分かる人も周囲に少なくなったが、うちの会社的に彼はタブー中のタブーだった。何せ宮本顕治が獄中非転向だったのは「転向の一種」であり、前衛貴族=日共を倒せとやって思想界に殴り込みをかけ、快哉を浴びたわけであるから。不倶戴天の敵ということだったはず。
であるからして、彼の著作は若い頃には、ほとんど読んだことがなかった。そもそも自分達の世代には、すでに旬はとうに過ぎており、小田実の日市連との論争などは記憶にあるものの、吉本批判は聞いたことがなく、作家ばななの父親という印象のほうが強かった。
死去の報を聞き、彼の古い著作を改めて読んでみた。
これが権威に噛みつくということなのだろうか。丸山真男も鶴見俊輔も小林多喜二も共産党も何でもかんでも手当たり次第に猛烈に攻撃している印象が強い。スターリニズムであると。
無名の大衆の尊さ、大学教員や既成左翼の卑しさを対比させ、大衆よ、党派を乗りこえよ、と滅多切りするわけだが、その観点にはなるほど鋭いところも少なくないし、詩人だけあって言葉の選び方が上手く、にやりとさせられることもある。熱烈な信者がいるのも分かる気がする。
だが、とどのつまり、共同を広げるのではなく、壊すことに執着するその言い分は、どうにも好きになれない。
そして、その後の彼の発言をみていくと、壊して壊して、結局残ったものは何なのかということに行き着くわけだが、何も残っていないのではないか。
批判する対象を見失い、方向性を喪失したのだろうか。既成左翼の低迷と比例するように、みるみる主張が精彩を欠き、現状肯定へと向かっていく。どこが「自立の思想」か、皆目分からなくなっていった。
3・11後に至っては週刊新潮(!)に登場して、「原発はなくすべきでない」などと述べているのであるが、これは高齢の吉本が週刊新潮にうまく利用されただけかもしれない。だが、「知の巨人」が、自らが原発推進派という党派に使われて晩節を汚し、福島の被災者や圧倒的な大衆に乗り越えられ、見向きもされない姿は、痛々しいとしかいいようがない。
各紙の追悼記事は、これら原発推進についての一連の発言のことは、基本スルーのようで、見て見ぬふりをしている。死者に鞭打たないということなのかもしれないし、そうあってほしくなかったという書き手の思いかもしれない。だが、吉本を評価するうえで、そこを直視することは避けて通れない。そんなことを思いながら追悼記事を読んだ。
最近は、この手の話はしなくなったし、分かる人も周囲に少なくなったが、うちの会社的に彼はタブー中のタブーだった。何せ宮本顕治が獄中非転向だったのは「転向の一種」であり、前衛貴族=日共を倒せとやって思想界に殴り込みをかけ、快哉を浴びたわけであるから。不倶戴天の敵ということだったはず。
であるからして、彼の著作は若い頃には、ほとんど読んだことがなかった。そもそも自分達の世代には、すでに旬はとうに過ぎており、小田実の日市連との論争などは記憶にあるものの、吉本批判は聞いたことがなく、作家ばななの父親という印象のほうが強かった。
死去の報を聞き、彼の古い著作を改めて読んでみた。
これが権威に噛みつくということなのだろうか。丸山真男も鶴見俊輔も小林多喜二も共産党も何でもかんでも手当たり次第に猛烈に攻撃している印象が強い。スターリニズムであると。
無名の大衆の尊さ、大学教員や既成左翼の卑しさを対比させ、大衆よ、党派を乗りこえよ、と滅多切りするわけだが、その観点にはなるほど鋭いところも少なくないし、詩人だけあって言葉の選び方が上手く、にやりとさせられることもある。熱烈な信者がいるのも分かる気がする。
だが、とどのつまり、共同を広げるのではなく、壊すことに執着するその言い分は、どうにも好きになれない。
そして、その後の彼の発言をみていくと、壊して壊して、結局残ったものは何なのかということに行き着くわけだが、何も残っていないのではないか。
批判する対象を見失い、方向性を喪失したのだろうか。既成左翼の低迷と比例するように、みるみる主張が精彩を欠き、現状肯定へと向かっていく。どこが「自立の思想」か、皆目分からなくなっていった。
3・11後に至っては週刊新潮(!)に登場して、「原発はなくすべきでない」などと述べているのであるが、これは高齢の吉本が週刊新潮にうまく利用されただけかもしれない。だが、「知の巨人」が、自らが原発推進派という党派に使われて晩節を汚し、福島の被災者や圧倒的な大衆に乗り越えられ、見向きもされない姿は、痛々しいとしかいいようがない。
各紙の追悼記事は、これら原発推進についての一連の発言のことは、基本スルーのようで、見て見ぬふりをしている。死者に鞭打たないということなのかもしれないし、そうあってほしくなかったという書き手の思いかもしれない。だが、吉本を評価するうえで、そこを直視することは避けて通れない。そんなことを思いながら追悼記事を読んだ。
by tosahiro-k
| 2012-03-17 22:26
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