2016年 12月 01日
日本と韓国の差は何か |
韓国ではパク・クネ大統領の「退陣表明」はあったものの、まだまだ紆余曲折はあるだろうと思われます。そう単純ではないかもしれない。そうであっても、非暴力の民衆の怒り=ピープルズパワーが確実に国家権力を突き崩していることを実感させます。
今回の運動ではデモ隊への弾圧は圧倒的な国民の怒りの声の前に警察もできなかったし、弾圧の口実をあたえる暴力的な行為も殆ど見られなかった。韓国の民主勢力の底力をみました。
よく、どうして日本ではああならないのだろうか、という疑問が聞かれますので、自分として思っていることを少し述べます。
岡田健一郎・高知大准教授が、よく「人はどうせやっても無駄と思うことには動かない」って言ってますよね。
それをいうなら、韓国の民衆は、デモで国家権力を倒せるということに確信を持っています。
圧倒的なデモで民主化宣言を勝ち取ったのが87年。その時に運動の主力を担ったのが60年代生まれでしたので、ちょうど僕らと同じ世代です。今の韓国社会を中枢で動かしている世代は、国家権力は民衆の力で倒せるという成功体験を持っている。さらにその子どもが今の大学生や高校生の世代なわけです。親が子に「デモに行け」と言ってるという話はあちこちで聞きます。
日本では、運動の高揚期を知っている世代は高齢化しており、今社会の中枢にいる僕らの世代は、権力の枠の中で異論を唱えず従順にいることを良しとする体験しかない。団結して声を上げた経験すらない。その子どもの世代も、空気を読んで枠からはみ出ないことだけが求められてきた。
この差は大きい。
だから、韓国の運動は何をやるにしても本気度が違いますね、本当に政権を倒すつもりでやってますから。やっている人が本気でなくて、とりあえずやってますみたいな運動が、ひろがるはずはありません。
もっと言えば、よく言われますが、民衆が決起して権力を打倒した体験を持たないという、日本的特質がやはり根源にあるように思います。社会の根本的な変革は常に黒船やGHQという外圧に頼るしかなかったという体験は決定的でしょうね。
まあ、大事なのはこれからなわけですが、気になっているのが、日本における民衆の文化運動の貧困さですね。かつて日本でも運動の高揚期の運動には歌がありましたが、今は主要な文化は大資本のコントロール下に完全におかれている。
なので今の日本の運動にはみんなで歌える歌がない。
SEALsの運動は、「私」個人が主語で、それは初めの一歩としてはエポックなわけですが、韓国の運動の主語が常に「ウリ」(私たち)であるように、それが「私たち」に発展していかなければ、国を動かす力になることはできない。
今回の韓国の運動は、「下野の歌」が政権を倒したと言っても過言ではない。「私たち」を結ぶ紐帯になるのが文化運動、歌だと思うんですよ。韓国の闘争の現場には、常に歌と踊りがあります。
世代を超えて歌える「プラハの春」のヘイ・ジュードみたいなのが資本の思惑を乗り越えて日本でも湧き上がって来た時に、大きな変革が訪れるのかもしれないという気がしてます。
by tosahiro-k
| 2016-12-01 12:46
| 韓国