2006年 07月 13日
ディープ・スロート |
ほんでもって、「よこはま水産」問題の高新の批評でございます。
予想が外れた。いくら腰が引けつつあったとはいえ、最重要人物が証言するのであるから、「組織防衛もここまできたか」「組織の業深く」とかデカデカとセンセーショナルにやると思ってたんだけど、すごく冷静で正直驚いた。議場には政治部長もいたわけで、N村証言を聞いての部としての評価、判断なのだろう。
確かに出てくる話、出てくる話、知事は「解同」がらみはいかんと言うたという話ばかりで、どう転んでも橋本知事の傷になりそうもない気配が濃厚である。行ったとしてもK野副知事までということは確定したから、やる気を失ったのか、決定的な日は変えるは、コロコロ極秘文書を差し替えられて、これはつきあいきれんと思ったのか。確かに「GW連休中に何がおこったのか!」と、ぶっ放してしまったものだから、「実は平日の6日でした」と今更言われても困るだろうと思う。
だいたい偏向した同和行政がまだ主流だった11年当時に、年間900万円の一般対策とも、よこはま水産の見返りともとれる微妙なものを合法的に出資したということなど、全体の中ではさしたる問題ではないのである。こんなのは全然かわいらしいわけで、当時の県庁をほじくり返せば、「解同」に言われて到底表には出せないようなやばいことが、それこそ腐るほどあるはず。一定の年齢の県職員ならみんな知っているはずだ。ただ県側からは「当時はそんなん当たり前じゃ」とは言えないわけで、そこがつらいところだろう。
N村氏が副知事を承諾させていたのか、独断で走ったのかはどっちでも同じだ。どちらも当時の県庁ならありうる。くり返すがそれはどっちでもいいのである。結局、副知事は代決しておらず、最終的に知事のところまで上がってきて、知事がきちんと判断しているのだから、組織決定=知事の判断である。途中であっち行った、こっち行ったは決定に至るまでの過程であって組織の決定ではない。
それでもって高新の紙面に戻るが、冷静な紙面は一定評価するとして、気になったのが、「よこ水問題」の定義。H田氏は、「赤字を垂れ流し、破たんしたよこはま水産へ県が同和対策絡みで異常な肩入れを続けた問題」であるとしているが、これは変。今回の「よこ水問題」は基金協会への年間900万円の出資のことである。異常な肩入れ自体は、13年の集中審査、その後の同和行政転換で決着はついている。ここははっきりさせなければならない。
それと、高新は、N村氏の出してきた例の文書についてアンタッチャブルでいくつもりらしいが、これはいかがなものか。最初からやばそうと思っていたので、黙殺するというのも一つの考えかもしれないが、文書問題はN村氏の主張のウィークポイントなわけで、出さないことはアンフェアになるのではないか。しかし、このへんのゴチャゴチャ、を字で、まったく事情の分からない人に理解できるように書くのは至難の業だ。テレビではもっと困難だろう。たぶんほとんどの県民は事情を分かってないし、関心は薄い。県庁と議会の周辺が盛り上がっているだけのような気もする。どうしたものであろうか。
実は、この問題をいろいろ調べていくと、あちこちで高新が当事者として出てくるので面食らう。N村氏の「極秘メモ」にも高新記者のことが出てくる。N村氏はきっと高新の「闇融資」報道のディープ・スロートだったのだろう。両者は相当濃密な関係にあった。N村氏にすれば免職になったT筑次長の後任として海洋局次長に放り込まれ、いきなり「よこ水」騒動である。これから県庁がどっちに転ぶか読めない混乱時に、あの有能さでいろんな方面に「保険」をかけたであろうことは想像に難くない。
まず既定路線で「解同」のM地社長には直貸しをはじめとする支援で走り回り、忠誠ぶりをアピール。5月4日の「謀議」で副知事に直貸しが拒否された時には「おんしゃが責任とれーよ」みたいなつかみ合い寸前の修羅場だったとN村氏が自分で述べていたくらい必死にやった。しかし、こういうことが、いずれバレた時に自分の身は安泰だろうか・・・という知恵も当然まわる。そこで高新にもパイプをつくり「恩を売る」ことで、身を守ろうとしたというのは考えすぎだろうか。
今回の「よこはま水産」ネタは高新社会部はすでに平成15年の段階で大量の情報開示請求をかけるなど、とっくに全容をつかんでおり、出すタイミングを狙っていたのだが、政治部に笠翁疑惑を先にやられてしまったので、知事戦まで1年半、モード事件の最高裁判決が夏頃に出るであろうと読み、議案と関係なく何でも発言できる4月14日の産経委概要説明というこれ以上ない絶好の場で、自民T森議員が戦端を開いた。この場でT森氏がこの問題をやるということを事前に高新は知っており、通常とは違う体制をとって経済部(と思う)の記者を配置していた。そして4月28日の産経委は、社会部をはじめとする高新記者で委員会室が埋め尽くされ、翌朝刊の「闇はまだ深い」となる。
一連の「疑惑」キャンペーンは、社会部が満を持して仕掛け、T森氏ら自民党の一部県議、N村氏が乗ったが、不発に終わろうとしていると自分は捉えている。そういえば高新の県政担当は「よこはま水産」について、県警捜査費のような熱気というか気迫は感じず、一歩引いたような他人事的な感じはあった。以前にも書いたが、おそらく6月下旬あたり、文書でゴタゴタした頃に内部的な力関係に変化があり、今日に至っているのではないだろうか。深読みのしすぎかもしれないが、そういう視点で見ていくと、今回の流れは合点がいくことが実に多いのである。
予想が外れた。いくら腰が引けつつあったとはいえ、最重要人物が証言するのであるから、「組織防衛もここまできたか」「組織の業深く」とかデカデカとセンセーショナルにやると思ってたんだけど、すごく冷静で正直驚いた。議場には政治部長もいたわけで、N村証言を聞いての部としての評価、判断なのだろう。
確かに出てくる話、出てくる話、知事は「解同」がらみはいかんと言うたという話ばかりで、どう転んでも橋本知事の傷になりそうもない気配が濃厚である。行ったとしてもK野副知事までということは確定したから、やる気を失ったのか、決定的な日は変えるは、コロコロ極秘文書を差し替えられて、これはつきあいきれんと思ったのか。確かに「GW連休中に何がおこったのか!」と、ぶっ放してしまったものだから、「実は平日の6日でした」と今更言われても困るだろうと思う。
だいたい偏向した同和行政がまだ主流だった11年当時に、年間900万円の一般対策とも、よこはま水産の見返りともとれる微妙なものを合法的に出資したということなど、全体の中ではさしたる問題ではないのである。こんなのは全然かわいらしいわけで、当時の県庁をほじくり返せば、「解同」に言われて到底表には出せないようなやばいことが、それこそ腐るほどあるはず。一定の年齢の県職員ならみんな知っているはずだ。ただ県側からは「当時はそんなん当たり前じゃ」とは言えないわけで、そこがつらいところだろう。
N村氏が副知事を承諾させていたのか、独断で走ったのかはどっちでも同じだ。どちらも当時の県庁ならありうる。くり返すがそれはどっちでもいいのである。結局、副知事は代決しておらず、最終的に知事のところまで上がってきて、知事がきちんと判断しているのだから、組織決定=知事の判断である。途中であっち行った、こっち行ったは決定に至るまでの過程であって組織の決定ではない。
それでもって高新の紙面に戻るが、冷静な紙面は一定評価するとして、気になったのが、「よこ水問題」の定義。H田氏は、「赤字を垂れ流し、破たんしたよこはま水産へ県が同和対策絡みで異常な肩入れを続けた問題」であるとしているが、これは変。今回の「よこ水問題」は基金協会への年間900万円の出資のことである。異常な肩入れ自体は、13年の集中審査、その後の同和行政転換で決着はついている。ここははっきりさせなければならない。
それと、高新は、N村氏の出してきた例の文書についてアンタッチャブルでいくつもりらしいが、これはいかがなものか。最初からやばそうと思っていたので、黙殺するというのも一つの考えかもしれないが、文書問題はN村氏の主張のウィークポイントなわけで、出さないことはアンフェアになるのではないか。しかし、このへんのゴチャゴチャ、を字で、まったく事情の分からない人に理解できるように書くのは至難の業だ。テレビではもっと困難だろう。たぶんほとんどの県民は事情を分かってないし、関心は薄い。県庁と議会の周辺が盛り上がっているだけのような気もする。どうしたものであろうか。
実は、この問題をいろいろ調べていくと、あちこちで高新が当事者として出てくるので面食らう。N村氏の「極秘メモ」にも高新記者のことが出てくる。N村氏はきっと高新の「闇融資」報道のディープ・スロートだったのだろう。両者は相当濃密な関係にあった。N村氏にすれば免職になったT筑次長の後任として海洋局次長に放り込まれ、いきなり「よこ水」騒動である。これから県庁がどっちに転ぶか読めない混乱時に、あの有能さでいろんな方面に「保険」をかけたであろうことは想像に難くない。
まず既定路線で「解同」のM地社長には直貸しをはじめとする支援で走り回り、忠誠ぶりをアピール。5月4日の「謀議」で副知事に直貸しが拒否された時には「おんしゃが責任とれーよ」みたいなつかみ合い寸前の修羅場だったとN村氏が自分で述べていたくらい必死にやった。しかし、こういうことが、いずれバレた時に自分の身は安泰だろうか・・・という知恵も当然まわる。そこで高新にもパイプをつくり「恩を売る」ことで、身を守ろうとしたというのは考えすぎだろうか。
今回の「よこはま水産」ネタは高新社会部はすでに平成15年の段階で大量の情報開示請求をかけるなど、とっくに全容をつかんでおり、出すタイミングを狙っていたのだが、政治部に笠翁疑惑を先にやられてしまったので、知事戦まで1年半、モード事件の最高裁判決が夏頃に出るであろうと読み、議案と関係なく何でも発言できる4月14日の産経委概要説明というこれ以上ない絶好の場で、自民T森議員が戦端を開いた。この場でT森氏がこの問題をやるということを事前に高新は知っており、通常とは違う体制をとって経済部(と思う)の記者を配置していた。そして4月28日の産経委は、社会部をはじめとする高新記者で委員会室が埋め尽くされ、翌朝刊の「闇はまだ深い」となる。
一連の「疑惑」キャンペーンは、社会部が満を持して仕掛け、T森氏ら自民党の一部県議、N村氏が乗ったが、不発に終わろうとしていると自分は捉えている。そういえば高新の県政担当は「よこはま水産」について、県警捜査費のような熱気というか気迫は感じず、一歩引いたような他人事的な感じはあった。以前にも書いたが、おそらく6月下旬あたり、文書でゴタゴタした頃に内部的な力関係に変化があり、今日に至っているのではないだろうか。深読みのしすぎかもしれないが、そういう視点で見ていくと、今回の流れは合点がいくことが実に多いのである。
by tosahiro-k
| 2006-07-13 15:45
| 取材こぼれ話