2007年 05月 31日
新しい同和行政終結運動構築を |
改めて、高知市の同和行政の根深さとひどさを実感している。何せ発想、感覚は何も変わっていない。外に見えるところは、とりあえず引っ込めたりもするが、見えない圧倒的な部分はあいかわらずのズブズブだ。
が、これを許している追及運動の責任も大きい。高齢化と弱体化により、最近同和の話を民報以外で聞いたことがないし、誰も現場を知らない。ダウン寸前なのに、こっちも打てずゴングに救われるようなもどかしさを感じる。
無茶苦茶な「属人調査」など、つっこみどころはいくらでもあるのだが、今の高知市にその受け皿になる運動が残念ながら存在していない。
この問題は、どうしてもタブー意識、「下手なこと言うたら大事」という忌避的な意識が働くので自然発生に任せても無理。先進層のしっかりした理論学習が大切だし、やはり現場をツアーでも組んで見に行くべきだろう。タイムスリップしたような児童館や市民会館の実態は見なければ分からない。そして現代的な市民の視点による同和行政終結にむけた運動を再構築すべき時にきている。
が、これを許している追及運動の責任も大きい。高齢化と弱体化により、最近同和の話を民報以外で聞いたことがないし、誰も現場を知らない。ダウン寸前なのに、こっちも打てずゴングに救われるようなもどかしさを感じる。
無茶苦茶な「属人調査」など、つっこみどころはいくらでもあるのだが、今の高知市にその受け皿になる運動が残念ながら存在していない。
この問題は、どうしてもタブー意識、「下手なこと言うたら大事」という忌避的な意識が働くので自然発生に任せても無理。先進層のしっかりした理論学習が大切だし、やはり現場をツアーでも組んで見に行くべきだろう。タイムスリップしたような児童館や市民会館の実態は見なければ分からない。そして現代的な市民の視点による同和行政終結にむけた運動を再構築すべき時にきている。
by tosahiro-k
| 2007-05-31 01:09
| 取材こぼれ話