2007年 09月 18日
スサーナとビクトル・ハラ |
30年以上前、サバの女王・アドロの大ヒットで知られるアルゼンチンの歌姫グラシェラ ・スサーナを覚えているだろうか。当時出た彼女のアルバム「アドロ・サバの女王」、LPは100万枚も売れたという。当時のLPは2500円くらいした。高卒初任給が2~3万円の時代に、今と同じような値段で、非常に高価でおいそれと買える代物ではなかった。そのすさまじい人気ぶりが分かる。
先日、NHK-FMでスサーナの話を聞いた。彼女が日本にきたきっかけは、むこうのタンゴ喫茶みたいなところで歌っていたら、菅原洋一がきて、「日本で歌ってみないか」とスカウトされたからだそうだ。当時20歳だったので、現在54歳。まだまだ現役で、日本とアルゼンチンの双方で音楽活動をしているという。
ところで彼女の新しい(といっても94年だけど)アルバム「人生よありがとう」の曲目を眺めていたら、印象深い曲をみつけた。チリのフォークシンガー、自由と革命の歌声で圧倒的なチリ人民に支持されていたビクトル・ハラの「アマンダの思い出」。
ビクトル・ハラは、ベンセレーモスを作ったことで知られる。選挙とデモで平和的に社会主義への道を選択したチリのアジェンデ政権を転覆させようとした、1973年9月11日のアメリカに後押しされたピノチェトの軍事クーデターにより、チリスタジアムに不当に逮捕監禁され、4日後に虐殺された。
ビクトル・ハラは、見せしめにとギターが二度と弾けないように指を砕かれ、ピノチェト軍の将校が、さあ歌ってみやがれ!とわめくと、やおらベンセレーモスを歌い、背後から機関銃で撃たれて殺されたという記録が残っている。
FMの番組ではスサーナは、アルゼンチンの政治的なことには触れなかったが、チリ同様、アルゼンチンでも70年代半ばに軍事独裁政権下で多くの国民が逮捕投獄されるなど、苦難の歴史がある。スサーナがビクトル・ハラの曲を歌っていたことは興味深い。
先日、NHK-FMでスサーナの話を聞いた。彼女が日本にきたきっかけは、むこうのタンゴ喫茶みたいなところで歌っていたら、菅原洋一がきて、「日本で歌ってみないか」とスカウトされたからだそうだ。当時20歳だったので、現在54歳。まだまだ現役で、日本とアルゼンチンの双方で音楽活動をしているという。
ところで彼女の新しい(といっても94年だけど)アルバム「人生よありがとう」の曲目を眺めていたら、印象深い曲をみつけた。チリのフォークシンガー、自由と革命の歌声で圧倒的なチリ人民に支持されていたビクトル・ハラの「アマンダの思い出」。
ビクトル・ハラは、ベンセレーモスを作ったことで知られる。選挙とデモで平和的に社会主義への道を選択したチリのアジェンデ政権を転覆させようとした、1973年9月11日のアメリカに後押しされたピノチェトの軍事クーデターにより、チリスタジアムに不当に逮捕監禁され、4日後に虐殺された。
ビクトル・ハラは、見せしめにとギターが二度と弾けないように指を砕かれ、ピノチェト軍の将校が、さあ歌ってみやがれ!とわめくと、やおらベンセレーモスを歌い、背後から機関銃で撃たれて殺されたという記録が残っている。
FMの番組ではスサーナは、アルゼンチンの政治的なことには触れなかったが、チリ同様、アルゼンチンでも70年代半ばに軍事独裁政権下で多くの国民が逮捕投獄されるなど、苦難の歴史がある。スサーナがビクトル・ハラの曲を歌っていたことは興味深い。
by tosahiro-k
| 2007-09-18 01:25
| オーディオ