2008年 07月 30日
高校問題 |
最近、学区制をはじめ、県立高校入試の話題に触れることが、非常に多い。
そこで痛感しているのは、高校と中学のスタンスの違い。義務教育とそうでないということで、違うのが当然なのだろうが、その溝は、想像以上に深い。
誤解を恐れずあっさり言うと、高校側の教師の最大の関心事は、いかに「へご」をふるいにかけ、門前払いにするだけであることを痛感する。様々なレベルで入学してきた生徒を、いかに育て、のばしていくかではなく、「うちの学校の特色」に合わない不純物をどう混入させないようにする、特色に合う均質な扱いやすい生徒をいかにとるかが、彼らにとっての「入試改革」の最大の眼目のような気がする。
片や、中学は、いかに進路を保障するか。高校進学率を上げなければならない。
高校入試をめぐり両者の意見は度々衝突するが、このような背景もあることから、だいたいの場合、高校が非教育的で、中学のほうがはるかに教育的なことを言う。
高校にもなれば、退学や留年は誰でもしたくないので、たいがいの生徒は言うことを聞く。不安定な思春期の悪ガキに、真正面から人間として対峙することが問われる(特に高校進学をあきらめた連中には高校受験によるコントロールが効かない)中学校教師の実践は、遙かに教育的であると思う。
県教委事務局というところは、やはり高校の教員の世界で、要所要所の幹部は高校の校長、教頭で占められているし、その体質には高校的な、官僚的な空気が、どうしても、そこはかとなく流れている。
高知市教委はやはり小中の先生の世界。生徒への距離感が県教委とは全然違う。高校入試改革への対応も、より中学生に負担が(精神的、金銭的に)かからないようにしようというモチベーションがはたらくのは、当然だろう。
さて、大詰めを迎えた高校問題検討委。「県立なのに、なぜ高知市の子供だけが優遇されて保護されるのか」、「郡部の中学校で希望する高校を受験することができないので不登校になった」などの大合唱だった。
だれが何の基準であの委員さんを決めているのだろうか?実情をあまりにも知らない「素人」の委員が多すぎる。事実を歪める無責任な発言も多い。これは、依頼した県教委の問題でもあるわけだが、多くの子供の進路にかかわる議論の場としてはあまりにも真剣さが足りないし、お粗末というのが自分としての実感だ。
県P代表の委員も代表として意見を言うなら、P全体の意見集約をしているのだろうか?自分の地域の特定の学校のことしか念頭にない感じである。
規制緩和と「自由化」が、格差を拡大し、全体として落ち込んでしまうという指摘は、経済的な分野ではいまや多くの人が理解するようになり、規制の必要性、反グローバリズムを言う人も増えてきたが、こと学区となると、竹中平蔵ばりの、むき出しの新自由主義者が「素人」には結構いる。教育の現場を分かっている人は、そんな単純なことは言わない。
撤廃派の方たちは「学区を撤廃してもたいした影響はないはず」とよく言う。ろくな知識もない人が何の根拠で言っているのかよく分からない。撤廃時のシュミレートは依然されないまま。中学校の状況を熟知している現場教師の危機感にもう少し真摯になってほしいし、「地域の学校」が存亡の危機に立つことは容易に想像がつく。
高知県のような構造の県では全県一区は重大な影響があることは普通に考えれば、誰が考えても分かるはずで、高校進学率の低下や中退の増加にもつながりかねない。一部の学校で競争が加熱し、全体の底上げにはつながらないだろう。
「高知市の子供だけが保護されているのはおかしい」という意見を何度も繰り返している女性委員がいるのだが、意味が良く分からない。どの学区でも地元の高校を維持するため、学区制で一定の規制をかけているわけで、高知学区だけを特別扱いをしろなどとは誰も言ってない。
根本的な問題は、わざわざ遠方から高い交通費を払ってでも高知市内の特定高校に行きたい、すぐ近所の地元高校には行きたくないという現状である。そういう状況を作っている県教委の責任を追及するのであれば、話は分かるが、「地元はいや、高知市がいい」という現状を追認して、学区制を撤廃するだけなら、県教委には何の努力もいらず、こんな楽な話はない。地域地域に魅力ある学校をつくる責任がなくなり、「ご自由にどこでも受けてください」で済。ついでに周辺校の統廃合のテコにもなるというものである。
県教委は、「自由」という、もっぱら耳あたりのよい「正論」を利用して、学区撤廃の方向をますます打ち出してくることは必然だろうが、果たしてその方向で、県教委がめざす高知県全体の底上げができるのであろうか。
そこで痛感しているのは、高校と中学のスタンスの違い。義務教育とそうでないということで、違うのが当然なのだろうが、その溝は、想像以上に深い。
誤解を恐れずあっさり言うと、高校側の教師の最大の関心事は、いかに「へご」をふるいにかけ、門前払いにするだけであることを痛感する。様々なレベルで入学してきた生徒を、いかに育て、のばしていくかではなく、「うちの学校の特色」に合わない不純物をどう混入させないようにする、特色に合う均質な扱いやすい生徒をいかにとるかが、彼らにとっての「入試改革」の最大の眼目のような気がする。
片や、中学は、いかに進路を保障するか。高校進学率を上げなければならない。
高校入試をめぐり両者の意見は度々衝突するが、このような背景もあることから、だいたいの場合、高校が非教育的で、中学のほうがはるかに教育的なことを言う。
高校にもなれば、退学や留年は誰でもしたくないので、たいがいの生徒は言うことを聞く。不安定な思春期の悪ガキに、真正面から人間として対峙することが問われる(特に高校進学をあきらめた連中には高校受験によるコントロールが効かない)中学校教師の実践は、遙かに教育的であると思う。
県教委事務局というところは、やはり高校の教員の世界で、要所要所の幹部は高校の校長、教頭で占められているし、その体質には高校的な、官僚的な空気が、どうしても、そこはかとなく流れている。
高知市教委はやはり小中の先生の世界。生徒への距離感が県教委とは全然違う。高校入試改革への対応も、より中学生に負担が(精神的、金銭的に)かからないようにしようというモチベーションがはたらくのは、当然だろう。
さて、大詰めを迎えた高校問題検討委。「県立なのに、なぜ高知市の子供だけが優遇されて保護されるのか」、「郡部の中学校で希望する高校を受験することができないので不登校になった」などの大合唱だった。
だれが何の基準であの委員さんを決めているのだろうか?実情をあまりにも知らない「素人」の委員が多すぎる。事実を歪める無責任な発言も多い。これは、依頼した県教委の問題でもあるわけだが、多くの子供の進路にかかわる議論の場としてはあまりにも真剣さが足りないし、お粗末というのが自分としての実感だ。
県P代表の委員も代表として意見を言うなら、P全体の意見集約をしているのだろうか?自分の地域の特定の学校のことしか念頭にない感じである。
規制緩和と「自由化」が、格差を拡大し、全体として落ち込んでしまうという指摘は、経済的な分野ではいまや多くの人が理解するようになり、規制の必要性、反グローバリズムを言う人も増えてきたが、こと学区となると、竹中平蔵ばりの、むき出しの新自由主義者が「素人」には結構いる。教育の現場を分かっている人は、そんな単純なことは言わない。
撤廃派の方たちは「学区を撤廃してもたいした影響はないはず」とよく言う。ろくな知識もない人が何の根拠で言っているのかよく分からない。撤廃時のシュミレートは依然されないまま。中学校の状況を熟知している現場教師の危機感にもう少し真摯になってほしいし、「地域の学校」が存亡の危機に立つことは容易に想像がつく。
高知県のような構造の県では全県一区は重大な影響があることは普通に考えれば、誰が考えても分かるはずで、高校進学率の低下や中退の増加にもつながりかねない。一部の学校で競争が加熱し、全体の底上げにはつながらないだろう。
「高知市の子供だけが保護されているのはおかしい」という意見を何度も繰り返している女性委員がいるのだが、意味が良く分からない。どの学区でも地元の高校を維持するため、学区制で一定の規制をかけているわけで、高知学区だけを特別扱いをしろなどとは誰も言ってない。
根本的な問題は、わざわざ遠方から高い交通費を払ってでも高知市内の特定高校に行きたい、すぐ近所の地元高校には行きたくないという現状である。そういう状況を作っている県教委の責任を追及するのであれば、話は分かるが、「地元はいや、高知市がいい」という現状を追認して、学区制を撤廃するだけなら、県教委には何の努力もいらず、こんな楽な話はない。地域地域に魅力ある学校をつくる責任がなくなり、「ご自由にどこでも受けてください」で済。ついでに周辺校の統廃合のテコにもなるというものである。
県教委は、「自由」という、もっぱら耳あたりのよい「正論」を利用して、学区撤廃の方向をますます打ち出してくることは必然だろうが、果たしてその方向で、県教委がめざす高知県全体の底上げができるのであろうか。
by tosahiro-k
| 2008-07-30 00:34
| 取材こぼれ話