文春の新書「さよなら!僕らのソニー」。時代の寵児として世界をうならせた、あのSONYの栄枯盛衰、なぜここまでSONYはダメになってしまったのか。クソニーとか、ソニータイマーと馬鹿にされ、それがまんざら外れていないというようなことに、どうして陥ってしまったのかということに、以前から関心を持っていたので読んでみた。
一家電メーカーの話ではあるし、社内の権力闘争の産物として情報にバイアスがかかっているのかなとも思うが(反社長派など不満分子のリークとか)、やはり組織のあり方としては、反面教師的に学ぶべき点が多い。
みなさんはSONY というブランドに、どのようなイメージを持っているだろうか。おそらく自分より年齢が上の世代には、世界を牽引する高い技術力、ウォークマンに代表される斬新な視点を持った腰の軽い、プラスイメージが強いメーカーではないだろうか。松下=真似下と揶揄されたナショナル=パナソニックなどとは、比べものにならないブランド力。一番分かりやすいのはフィリップスと共同で規格を作ったCDで、世界のスタンダードを創りだす推進力は圧倒的だった。
思えば小学生の頃には、SONYのBCL短波ラジオが欲しくて欲しくてたまらなかったが、高嶺の花でとても買えなかった。
自分の専門のオーディオ方面では、カセットデッキやDAT(デジタル・オーディオ・テープ)、CDでは元祖の風格で痺れさせてくれたし、アンプなどのESシリーズにも憧れた。
SONYの製品はハイエンドとはいえない中堅機で、庶民が頑張れば手が届く値段、斬新な技術で一クラスも二クラスも上の音を出し、コスト度外視の物量を投入した名機もたくさんあった。
しかし、SONYという企業の図体が巨大化すると、組織の維持自体が目的になり、バブル崩壊後あたりから凋落が始まり、新しいものづくりを切り拓いてきた研究所をリストラ、他社の二番煎じの「売れる」ものしか作らない体質に落ち込んでいった。
2000年代になるとその落ち目ぶりは、目を覆うばかりになる。
SONY建て直しのため就任した外国人CEOの関心事はコストカットばかり。外国人故に、ドライで合理的。SONYブランドへの愛も、日本人のものづくりの「誇り」みたいな心情の琴線にも重きをおかない。主要な部品も安ければ外注でいい。工場も技術者もリストラに次ぐリストラ。
すでにSONYは、ものをつくるメーカーではなく、単なるパーツの組みたて屋になりつつある。品質よりコストダウン。それ故ソニータイマーが頻発することになる。
5、6年ほど前、ソニーが在庫の管理費を浮かせるために、かつてのカセットデッキなど名機を保守するのに必要な古いパーツを大量に捨て、修理のベテランメカニックはみんなやめたので、レベルが大きく低下したという話を聞いた覚えがある。真偽は定かでないが、それ頃から確かに修理の質が下がった気がする。修理に出しても、直らずに戻ってくることが多くなったし、費用も高くなり、「直すより、買い換えたほうが得ですよ」というメッセージを強く感じるようになった。地味な修理部門は、コストカットの影響がもろに出るのだろう。
ものづくりが命だったSONYが、ものづくりをしなくなっては、おしまいだ。
背景には、前例踏襲・保守主義の蔓延と、茶坊主化、自由闊達な議論ができない気風・・・衰退する組織は法則的で、どこも同じ。
我々の年代の人間には寂しいことであるが、SONYは、ただの白物家電屋になった。かつてのような栄光のSONYとは別物ということを自覚しなければならない。
最後に今も手元にある、いにしえのSONY製品で、昔を懐かしんでみたい。

TCーD5M ポータブル・カセットレコーダー。いわゆるデンスケのもっとも進化したモデルで、栄光のソニーのシンボルみたいな機種。放送局で使われていたプロ機同様の仕様で、メタルテープ対応。ボディはしっかりした金属製で、二連アナログメーターが泣かせます。メタルカセットテープの潜在力は素晴らしく、出番はないけど、どうしても手放せない名機です。

ZA5ES DAT 最高48khz16bit という、CDを超えるフォーマットで録音できることで25年くらい前に出た時には一世を風靡したDATですが、今となっては192khz24bitが当たり前の時代に。活用する意味は見えにくくなってきていますが、録音した成果物がテープという形になる保管性の良さは好きです。自分の今の使い方は32khzモードでNHKFMのエアチェック専用。音源がFM放送なので音質はどうでもよくなってまして、4時間のタイマー録音が可。それにしてもエアチェックはPCでやるより、こちらのほうがずっと具合がよいです。ちなみにZA5ES、定価は13万円のまったくの中堅機で、ヘッドフォンのボリウムなんかボロでガリが出まくりですが、メカは傑作で、故障知らずとみんな言いいます。自分もそう思います。壊れません。