2011年 06月 22日
脱原発の声を束ねるために |
政府は相変わらず、原発に固執する姿勢を崩さず、「停止中の原発を再稼働しろ」と「安全だから安全だといわんばかり」(尾﨑知事)に繰り返しているが、国民的な脱原発にむかう世論の潮流は、一見静かではあるが、日に日に確実に広がっていて、政府と国民の感覚の乖離はますます拡大している。
孫正義、橋下大阪知事など究極のポピュリストらが、脱原発で活発に動きまわっているのは、結局は原発はもう無理という流れは押しとどめようがない、ならば人より先にと立ち回るもので、彼らの天才的嗅覚がそこをしっかりとらえているのだろう。
だが、政治的には民主・自民は原発から抜け出す発想はさらさらなく、社民がいくら反原発で頑張っても、支持率は上がらない。これまでに脱原発運動を中心的に担ってきた既存左翼は、今日的な脱原発世論の政治的受け皿にはなっていないのが残念ながら現実だ。
既存左翼とは別の次元で巨大な国民的エネルギーがうねっており、それは既存の枠組みでとうてい収まるものではないのだろう。
米日支配層の巨大権力構造そのものである原発を止めるのは並大抵のことではなく、国民的な脱原発救国戦線的なものを作り上げなければ立ち向かえない。
そのためには運動を束ねていくための血の出るような努力がいる。その鍵は非左翼にあるというのを実感していて(レジスタンスのドゴールのような存在)、無党派・保守系がその腹を固めなければならない。既存左翼も、そういう環境を醸成していくために考えを巡らせる時だ。その前提として、ただでさえ弱小な既存左翼がバラバラではお話にならない。
6・11後、ネット系の動きがパタリと止まった。これはエネルギーが削がれたわけではなく、彼らも、これからの運動のあり方を模索(好きな言葉ではないが)しているのだろう。
国民の中にある巨大なエネルギー束ねることができれば、原発は止められる(薩長連合がなったら倒幕が決まったようなもの)。今日の日本の状況は、世界史的なスケールの事態がおきているわけで、従来の延長線だけでものを見るのではなく、そのスケールにふさわしい認識をしなければならないし、それができなければ国民的に淘汰されてしまう。
それぞれが活発にやるのと同時に、国民的な運動に発展させるためのあり方を、真剣に考える時だと思う。(写真は6月11日、高知市での脱原発デモ)
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by tosahiro-k
| 2011-06-22 10:29
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